真実と善と美

 日常の中で、見たり聞いたりした事について書いています。

2016年の抱負

あけましておめでとうございます。

 昨年は絶対にあり得ないと思っていた人事異動があって、4月から職場が変わりました。

 しかも以前に居た職場に7年振りに戻る形になり既視感ありありで新鮮味がなく、正直ため息ばかり吐いていました。
 しかし、先輩から沢山仕事を教えてもらったり、職場の雰囲気がとても良く、意外と楽しくやっています。

 昨年の念頭に書いたブログにはこんな事が書いてありました。

 "今年の抱負は

・今まで積み重ねた自分の価値観を疑う事。
・好きなことを我慢しない。興味のある物にキチンと関心を示す。
・変化を恐れない

です。

2015年は人生のバージョンアップが始まる年になるかと思います。超楽しみ!"


 今年は特に自分自身の「価値観」についてよく自分自身に向き合って考えたいと思います。

 誰かの言った事など迎合するあまりに、それが自分自身の価値観と思い込んだりしない様に。自分自身の価値観を明確にして、それを大切にしていきたいと思います。

 そして余計な物事を削ぎ落とし、自分の信念を単純明瞭にして、そこへ力を注いでいきます。

 今日は妻の実家から新潟への帰りの途中に、今年の決意表明として大分県宇佐神宮へ初詣に行ってきました。

 細木数子先生の言う"大殺界"2年目に突入するわけですが、人生の良きストレッチとシェイプアップの年にしたいです。

2016年、超楽しみ!
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農林高校の生徒達


 私が住んでいる街に県立の農業高校があります。

 生徒は授業の一環として学校で作った味噌、ジャム、米、鉢物の花、クッキーもあったかな?野菜、果物などを、一輪車に載せて近所を売り歩いています。

 市内の小中学校にも担当の先生と訪れたりして、卒業生が来ると職員は皆喜んで買ってくれるみたいです。

 どこの家に声をかけるか?とか、どこの地域を歩いてみるとかは基本的に生徒が考えているみたいです。

 商品は質が良くて、いつも売りに来るのを待っているような人もいます。
 秋に行われる学校の学園祭的な行事では、肉やその他の農産物などを求めて列が出来るほど人気があります。

 商店街のイベントでも、農林高校として出店していました。生徒らは元気に声を出して活気がありました。

 生産から販売まで、どの程度生徒が携わっているかはわかりませんが、少なくとも、自分達で作った農産物を自ら売って歩いて、お客様の声を聞くというのは大変有意義な勉強だと思います。

 生徒達は買ってくれたお客様の声をどれだけ聞き取って、それを次の商品の生産に生かしているのかわかりませんが、それをきちんとやったらもっと勉強になるのではないでしょうか?

 先ずは目標を掲げることが大事だと思います。それが売り上げか、売り上げよりも商品の質を上げる事か、いろんな目標設定があるかと思いますが、いずれにせよ、「いつもと同じ様に生産して、商品化して、いつもと同じ様に売りに歩く」では成長しないと思うのです。

 生徒は3年間しか機会がありませんが、先輩達が残してくれた方法や考えなどをさらに磨き上げていくことができます。

 目標を設定する→生産方法を学ぶ→実践する→売る→評価する→より良い生産方法を学ぶ→実践する→新しい売り方を試す→評価する→…

 こうしたサイクルをしっかりと行っていれば、社会では即戦力になるのではないでしょうか?机上で経営や経済を学んだ大学生よりも、3年間自分で商品を作って売って歩いた高校生の方が採用されやすいと思います。

 またはすぐにでも何人かで力を合わせれば起業出来そうな気もします。

 農作物の貿易が自由化され、農業も何を作るか?誰に?どこに売るか?を農業に従事する一人一人が考えなければなりません。

 農業高校の生徒らが勉強していることはこれから必要不可欠な事ばかりです。ただ作るだけではダメだし、ただあるものを売るだけでは売れません。農業はどのポジションにいても、作って売るという全ての行程を考えなければなりません。従って農業高校での学びはこれからの農業を担うにあたり、とても有意義であると思うのです。

 これからの日本の農業を担っていくのは、農業高校に通っている生徒らはが中心になるでしょう。農業高校の生徒らの未来と、これからの農業に期待します。
  

中学校武道授業 柳生新陰流剣術と穴澤流なぎなた


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 今年も中学校武道授業が終わりました。

 我が加茂市では、中学校の武道授業必修化にともない、剣道、柔道、合気道、空手、柳生新陰流兵法、穴澤流なぎなた を生徒に選択してもらって10月に集中して授業を行っています。

 私は師匠(加茂市長)の助教として柳生新陰流と穴澤流なぎなたをお教えしています。

 中学生は毎年5月に行われる演武会を観て、やりたい武道授業を選択します。柳生新陰流と穴澤流は再選択率が高く、1年生の時から3年間選択する生徒が多いです。そして理由はわかりませんが、女子の比率がとても高いです。3年生は30人中24人が女子でした。

 再選択は大変ありがたい事です。「またやりたい」と思って来てくれる生徒は、やはり能動的です。教える方としても、やっていてとても楽しいです。

 そして、全学年を通して圧倒的に女子の理解度が高く習熟度が高いです。
 何よりも楽しげに授業に取り組んでいる所がとても良いと思いました。

 生徒達に教えると同時に、大いに自分自身の稽古にもなります。
 この武道授業の期間中に生徒達に教えることは、初歩にして最も大事な部分です。

 自分自身も、授業をやりながら、大事な事は多くの刀法を覚えることよりも、基本の精度を高めることだと再確認させられる毎日でした。

 武道授業中に「かんぽ剣道大会」にて開会式で柳生新陰流の組太刀を披露する機会があって、県内の大勢の剣道の先生方から、鍛えた鋭い目で視線のシャワーを浴びるのですが、後に聞いた所、大変多くのお褒めの言葉をいただいたようです。
 
 武道授業の賜であります。

 この武道授業には数ヶ月にわたって準備してくださった学校教育課と、準備に携わった多くの方々、授業を円滑に進める為に、日々の準備と点検を弛まぬ緊張感をもって行ってくださった市役所職員諸侯。
 私が武道授業の為に職場専念義務を免除されている間、助けてくださった先輩や職場の皆さん。
 大変多くの方々の助けを得て円滑に行うことができました。

 生徒達は楽しく有意義な武道授業を受けることができたと確信しています。

 武芸とは相手と戦い争うものではなく、仁愛を以て他者との調和を醸し出すものであることを、一片でも解ってもらえると嬉しいです。


 大変ありがとうございました。

感謝!
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引き寄せの法則の本質


 10年くらい前から「引き寄せの法則」というワードをよく目にするようになった。

 「引き寄せの法則」は自分が考えていること、イメージしていることが現実化するという法則だって言うけど、それは本を売るためのキャッチコピーで、本質はちょっと違うんだよね。

 結果的には自分がイメージしたことが引き寄せられるわけだけども、それ以前に大事なのは、自分の心の態度なんだよね。

 よく言われることで、願い事は「〜できますように」みたいな願い事はダメで、「〜出来てありがとうございます」って感謝しなきゃダメだって言うけど、これは正しい。

 引き寄せの法則的に言えば、例えば「お金が沢山欲しい」って願ってばかりいると、「お金が欲しい」という状態が引き寄せられるわけ。だからお金がすでにある状況をイメージして「お金が沢山あってありがたい」とイメージするべきなんだよね。

 でも、ここで大事なのは、状況を引寄せるのではなくて自分の気持ちを引寄せることに焦点を合わせなきゃならないわけ。

 お金があるとか目標を成し遂げたという状況よりも、どういう気持ちを得たいか?という事に焦点を当て合わせるべきなんだ。

 まずはそこ。

 その感情を得るがためにどういう状況が自分に起きて欲しいか?をその次に状態をイメージするわけ。

 本質的に言えば、例えばお金が沢山あったって何にも喜びを感じない人はいるし、わずかなお金でも大変な喜びを得る人もいるわけです。

 だから得るべきは物や状態ではなくて、感情、気持ち。

 したがって引寄せるべきはお金とか名誉とか状態ではなくて、喜びや幸福感や満足感などのポジティブな感情なんだよね。


 じゃあ、どうやって引寄せるかというと、実はそこが一番大事なところで、「引き寄せの法則」本はそのもっとも大事な部分をないがしろにしつつあると感じるんだけど。
 物事を引寄せる自分の心の態度が最も大事なんだよね。
 物事を生み出すというのは、その要素にポジティブな調和と愛が欠かせない。
 創造のエネルギーはポジティブなエネルギーなんだよね。悲観的、ネガティヴなところからは何も生まれないんだよ。
 怒ったり悲しんだり自虐的になったりしているところからは愛に満ちたポジティブな感情や状況は引き寄せられないし生まれないんだよね。
 
で、どういう風にポジティブな感情を得るかというと、今その一瞬一瞬をポジティブな思考で埋めることが何よりも大事なんだよね。感謝、思いやり、愛情に満ちたポジティブな思考を今の一瞬に埋めるわけ。

 でも、人間いろいろあるわけで、そんなに都合よくポジティブなことばかり考えてもいられないわけよ。

 人間の心にネガティヴな影を落とすのは、何よりも人間関係。人間の悩みは突き詰めるところ必ず人間関係に行き着くわけです。

 そこで中村天風先生が言うのは
 「人の一善を見てその百非を忘れるに如くはなし」

というわけ。これはいい言葉で、その人の一つでもいいところを見て、その他の百の悪い部分を忘れちゃいなよって事。
 
 自分がその物事や人の言動に対してどう思うかはその人次第で、自分自身に責任があるわけです。誰かがやったやらない、言った言わないに対して、自分がどう思うかは自分の責任。

 ポジティブであるかネガティヴであるかは自分次第なわけですよ。

 だから、その一瞬一瞬を良い気分で過ごそうという態度が、更に良い気分を引き寄せちゃうわけです。

 でもね、でもね、人はそんなに平穏な毎日を送っておるわけではないわけですわ。
 腹立たしい事もあるし、いらつく事もあるわけで、嫌な事もあるわけです。そんな時は自分の心は荒波ですよ。
 そんな時にいきなり平和でハッピーで愛で満ち溢れた気持ちになんて一気になれるわけありませんがな!
 だから、人類は禅とか瞑想とかヨガとかを考案したわけです。
 それはどういう効用があるかというと、
 感情をメーターに例えて、イライラ悲しみ怒りなどのネガティヴ感情をマイナスと例え、感謝喜び幸福感をプラスに例えれば、その間には必ず0があるわけです。
 禅や瞑想やヨガは一先ず自分の心を0にリセットする手段なんですよね。

 この0の状態は「空」とか「無」とか言われるわけです。
 宮本武蔵五輪書の「空の巻」で真空妙有と言ってるけど、こういう事です。空なる状態から妙なる有(智、理、道)が生まれるわけです。
 全てはここらか始まるわけですね。

 だからまずは心をリセットする事、そして気持ちをポジティブな方向に持っていく事が日々、常々大事なわけです。
 そうすると創造のエネルギーが自分に満ちてくるのです。
 その創造のエネルギーの仕組みは宇宙が誕生した時と全く同じ働きで、宇宙が膨張し続けるエネルギーもたまたそのポジティブな創造のエネルギーが働いているわけです。

 毎日、一瞬一瞬をポジティブに過ごして自分が得たいと思う感情をイメージする事。

 そうする事により、宇宙から創造のエネルギー(般若心経は般若(パーニャ)というし、キリスト教は神という。宗教によって表現は違うが、本質は同じ)を得て、なりたい状況になれるわけです。

 これが「引き寄せの法則」の本質です。

 最も大事なのは何度も言うように、常にポジティブに在る事です。得たい感情をイメージし、なりたい状態をイメージするのはその次です。

 妊活を頑張っている人に試して欲しい事は、赤ちゃんを授かる事は大変偉大な創造です。
 だから母体となる人は穏やかで温和でポジティブ状態でなければ命を授かることはできません。心の中に「どうせ自分は…」などという自虐的な感情や、あいつムカつくみたいな否定的な感情やストレスを溜め込んではいけません。

 美しいものに触れて心を癒したり、面白いコントDVDなど見て大笑いしたりして、できるだけ大らかでポジティブな感情を維持するべきです。
 そうすると必ずや子宝に恵まれるでしょう。

 創造の力を得て自らの思うがままに成る事を「自在」と言います。
兵法を学ぶ目的は「自在を得る事」と言われています。
 古来より人類はこの所謂「引き寄せの法則」を得る為の考察を繰り返してきました。
 宗教はもちろんの事、古流の兵法も自由自在に生きる術を唱えているのです。

・常にポジティブである事
・得たい感情をイメージする事。
・その為の自分の状況をイメージする事。

その為に様々なツールを使う事も効果的です。
音楽を聴いたり、温泉に入ったり、ドライブを楽しんだり、趣味に没頭したりする事は物事を引寄せる状態を維持するに有効でしょう。

 Have a nice week end!!

地方の食文化

 東京でとてもお洒落でアットホームな料理教室を開いている友人が、実家へ帰省する機会が多くなった為、実家のあるこちらの小さな街で料理教室を開きたいとの事で、色々と案を練っている所です。

 友人は食材の種類や値段を調べる為にスーパーへ出かけたり、近辺で外食をしたり、料理教室をリサーチしたりして、料理教室を開催するに必要な情報と市場のリサーチをしています。

 地方の田舎の食文化についての感想を聞く上で、気付かされる事が沢山ありました。


・作らない

 これはどこに行っても同じ事が言えるのかもしれませんが、料理を作らなくなっているようです。
 スーパーにはお弁当やお惣菜が年々充実しています。そしてそのお弁当やお惣菜コーナーは常に人気です。
 コンビニのお惣菜の種類も多くなったし、以前よりも味が良くなっているようです。
 しかし、それにしても美味しいとは言い難い…
 ただし、美味しい食材はどこにでも豊富にある。


・美味しいと言えるお店が少ない

 これは周りの何人もの人が言います。
 堀江貴文氏も高城剛氏も、世界から見れば東京の食文化は世界一だと言います。ですが、堀江貴文氏曰く、地方に行くと美味しいお店が少ないと言います。
 ロケーションが良かったり、雰囲気が独特であったり、非日常的な空間を演出しているならば、そこに付加価値があるので味には譲歩の余地がある訳ですが、なんの変哲もないお店でありながら、自宅で自分で作った方が美味いと言える様なものを出すお店があったりします。

 昔からの人気店で「美味しい」と評判のお店も、改めて俯瞰的になって食べてみると、全然美味しいとはいえなかったり…

 不味いとは言わないけれど、美味しい物に出会うチャンスがとても少ないと感じます。
 

・ホームパーティをやらない

 田舎では自宅で冠婚葬祭ができちゃうくらいの大広間を有する家が沢山あります。しかも広い庭があったりします。
 しかし、人が集まって宴会をやる機会というのは、冠婚葬祭かお盆か正月に親戚が集まる位で、それ以外で友人が集まって宴会をやったりする事はあまり少ない様です。

 みんなで集まって宴会をやるというのは楽しいという事はわかっているはずなのに、人を自宅に呼ぶという事に抵抗があるのではないでしょうか?ただし、人の家に行くという事に関しては抵抗がない様に思います。


 まとめると

・作らない
・美味しいお店がない
・みんなで一緒に食事を作ったり食べたりしてパーティー、宴会をやらない

  最近西日本各地に行く機会がありました。道沿いの飲食店の看板の風景は、どこへ行っても同じ風景です。おなじみのフランチャイズ店やチェーン店の看板で埋め尽くされているのです。
 反感を恐れずに言えば、私も含めてですが、地方にはとても豊富な食材がありながら、地方の人々の食文化は堕落し、口は貧しくなっている様に思います。
 料理をせず、美味しさへの欲求は薄れ、食事は簡素化され、お手軽でシステム化した食事を利用する事が多くなりましました。
 何が美味しくて何が美味しくないのかさえも、自らの味覚よりも世間のレビューが定義付けしている様な気がします。

 地方で料理教室をやるというのは、地方の現在の食文化の流れに抗う様な事です。

・美味しい料理は沢山ある!
・誰もが美味しい料理を作る事ができる!
・料理を作るって楽しい!
・みんなで作って食べると美味しいし楽しい!

 地方の食文化の流れを全体的に変える事は無理があるけど、こうした食事にまつわる新しい提案は、とても意義のある事です。
 そしてそれは地方の食文化のイノベーションと言ってもいいと思います。
 友人のこうした想いをなんとか形にして、少しでも多くの人に体験し満足感と幸福感を感じてほしいと思います。


 ごく一部の文化的感度の高い人は、自分で作り振舞ったりする事に、楽しさと貢献感と幸福感を感じていて、実際に自宅で美味しい物を作ったり、ホームパーティーを楽しんだりしている様です。しかし本当にごく僅かの人達です。

 料理教室を開催しても友人の想いは伝わらないかもしれない。
 楽しく料理を習っている自分をSNSにシェアして満足して終わりかもしれない。
 みんなで集まってワイワイと料理をして美味しくいただいて満足し、習った料理のスキルを持ち帰り、活かそうとする事が今後ないかもしれない。

 でも、それで先ずは十分だと思うのです。

 楽さは少しずつでも広がって、一人ずつに広がって、やがてもっと踏み込んだ料理の楽さを体験してもらうのがいいかもしれない。

 料理は創造性のある日常であり趣味であり娯楽でもあります。
 そして誰かの為を想って行われる思いやりの貢献であります。

 この人間の生活から切っても切れない食事というものを、もっと楽しく幸福なものにしようとするこの友人の志を、心から応援したいと思います。

九州〜しまなみ海道〜能登半島 ツーリング まとめ

 8月10日 am7:00 新潟の自宅を出発
 大阪南港へ向かいました。

相棒は Harleydavidson softail fatboylo
 キジマのミーティングキャリアを取り付けて、そこに所謂ホムセンBOXを荷締めベルトでくくりつけて、中にはソロキャンプギアを入れました。サドルバッグとノースフェイスのバッグには着替えとか色々。
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この日は北陸自動車道を使って大阪南港へ向かいました。米原辺りまで全然暑くなくて涼しかったけど、車が混み始めるとともに、都市部に近付いたせいか、段々と暑くなってきた。

 阪神高速は地名も方向も分からない身としては スマホのナビは必須だった。特に音声は助かった。ヘルメット用のスピーカーイヤホンを取り付けていって本当に良かったと思う。
 距離は全然見てなかった。確か610キロ位。

 港に着いたのは16:00
17:55発のサンフラワー霧島で志布志へ向かいます。
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 バイクの搭乗は20台位だったかな?
 船室はツーリストを選んだ。

 隣の青年は志布志に着いたら鹿児島港まで移動して、そこから屋久島へ向かうんだって、大きなバックパック持ってたなぁ。9月で就職浪人が終わるんだって。大阪から東京へ引っ越すとか…その前の屋久島チャレンジ最後のチャンスなんだって。
 屋久島楽しめたかなぁ?

 船内はとても混んでた。乗船したらさっさとお風呂に入ってレストランに並ぶのが常識だね。

 これから自動運転自動車の開発が進むとカーフェリーの乗客も減るんだろうな。
 カーフェリーはツーリストの様なプランが減ってホテルの様な快適さを売りにしたプランが増えてきそうだよね。

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 8月11日 8:55に志布志到着予定だったけど、20分位遅れたかな?
 バイクで下船する時はテンション高かったなぁ。
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志布志から海岸線を辿って鵜戸神宮へ向かったけど、工事の為に通行止めとかあって、道を間違えて1時間弱ロスしたかなぁ?

 しかし宮崎はどこまで行っても田舎で何も無い。本当に「どげんかせんといかん」て言わざるを得ないよね。本当に何も無い田舎で一番カラフルなのは政治家の看板ね。
 地方創生と言って何も無い所にお金撒くのももったい無いよね。コンパクトシティ構想を本気で考えた方がいいかも。

 鵜戸神宮に行こうと思ったのは、自分がやってる剣術の柳生新陰流の源流である、陰流を創った愛洲移香斎所縁の地なんだよね。
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でも、鵜戸神宮では陰流のキーワードはこれだけ…
海の青さと山の緑と社殿の朱色のコントラストがとても綺麗だった!
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 帰りに売店で美味しそうなジュースを買ったんだけど、これ新潟では見ないなぁ。マンゴー味はここだけなのかな?美味しかった!
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売店の奥で一休みさせてもらいながら、おばちゃんとお話ししてた。店の奥には東国原知事のキャラクター看板が寂しげに立ってたよ。
 そういえば宮崎来て鳥を食べなかった!!

 鵜戸神宮から海岸線を宮崎に向かって走った。
 本当に海が綺麗!なんでこんなに青いの?
 樹木もトロピカルでとても南国気分だった。
 あと、びっくりしたのが、サボテンが地植えで生き生きしてる事。新潟では見れない光景だね。

 宮崎市のシーガイアへ続く有料道路もとても気持ち良かった!
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 宮崎市を過ぎた辺りからこの日のキャンプ設営場所を探し始めた。日向市に良さげなキャンプ場があったのでとりあえずそこを目指した。

 16:00頃に日向市サンパークオートキャンプ場に到着して、管理人さんに伺ったら空いているので利用できますとの事。良かった!

 すぐ近くに温泉があって、本来ならば団体さんのための割引券を管理人さんが特別に分けてくださった。ありがとうございます!

 不慣れな設営で時間はかかるし、あたふたしてたけど、なんとかうまく設営出来た。
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 この日の夜は暑かったなぁ。テント内にバッテリー式の扇風機が要るわ。

 8月12日
 この日は宮崎、熊本、大分は雨予報で、雨雲レーダーを見ると黄色いエリアが阿蘇にかかる予報。

 なるべく雨雲が阿蘇に差し掛かる前に向かおうと思い、急いで撤収、移動したけど、天気予報は刻一刻と変化し、高千穂峡付近で本格的な雨に叩かれ始めた。

 雨の高千穂峡歩いてももったい無いのでパス。

 阿蘇へ向かった。
雨は晴れない。晴れる見込みもない。諦めてとにかく阿蘇のど真ん中を走って大観峰へ向かい、やまなみハイウェイへ向かう事にした。ラピュタの道もまた今度という事にした。
 なぜなら雷も酷かった。草千里近くでは何もない平原に「ここに雷落としてください」と言わんばかりの俺。
 稲光が強かったなぁ。

 遠くまでは見えなかったけど、とても素晴らしい道!雨煙か尚更神秘的だった。

 大観峰は雷雨の為にスルーした。この天気では小観望な感じだろうと思ったわけ。

 雨による体力の消耗と、装備の雨ダメージの心配とで、とにかくこの日は目的地である大分ベース(妻の実家)へ向かう事に専念した。

 長者原は車で行った事があるので、最短距離の久住高原を走った。こちらも車で来た事はあるんだけど、バイクで走りたかったんだよね。
 巷ではやまなみが定番だけど、この久住高原もとても素晴らしいよ。
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それにしてもとても寒かった!
8月にこんなにブルブルする程寒い思いをするとは思わなかった。

 ちなみに久住高原の赤川温泉はオススメです。ここは有数の硫黄温泉。白濁のお湯で何日経っても身体から硫黄の匂いが消えない。
 温泉好きは立ち寄るべき!

 俺も大分県民になりつつあるなって思ったのは、久住から大分市内の妻の実家までナビ無しで行けたって事ね。「あーこっち行くと"わったん"ね〜」とか思いながら走ってた。
 14:00頃大分ベース(妻の実家)に到着したんだけど、妻と家族みんなは大分駅ビルへ買い物へ出かけてて、ずぶ濡れの俺は大分市内に放置されたわけで…

 持ってきた雨具は16歳の時に普通自動二輪を取った時期に買ったので、もう20年以上使ってるんだよね。
 でもこの雨具は「晴れ合羽」でこの雨具を持ち出してツーリング出かけても必ず雨に当たらなかったんだよね。だから今回が20年で初めてちゃんと合羽を使った。しかし防水機能はサッパリ無くて、ぜんぜん使えなかった。きっと晴れ合羽としての寿命が来たんだなって思った。
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 バイク用の雨具を探しに大分市内を走ったけど、バイク用品店はどこもお休みでただ彷徨っただけだった…

 妻の実家でお世話になります。

 温泉が身に沁みたね。
 妻子に会えたのもホッとした。

 バイクの長旅って重大な交通事故のリスクも含んでいるから、とにかく妻子に会えたのは嬉しかったね。

8月13日
 翌日もホッとしたひと時を過ごさせてもらいました。
我が子と我が子の従兄弟の寝姿見て疲れが癒された。
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 8月14日
 この日は5:00に大分ベースを出発して佐賀関へ向かいました。

佐賀関 佐伯港を7:00に出航するカーフェリーで愛媛県三崎港に向かいました。

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 船に乗りながら吉田拓郎の「唇をかみしめながら」を聴いてたらなんか感謝の気持ちで胸が一杯になった。

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 お義父さんとお義母さんは温かく迎えてくれて、色々と心配をしてくれて本当にありがたいと思った。妻と妻の両親に感謝!

 三崎港に着いたのは8:10頃。佐田岬から伊予に向かって走りました。
 この道はとても気持ち良かった!そして佐田岬から伊予に向かう海岸線はとても綺麗で気持ちよく走れた。

 今治からしまなみ海道へ向かった。
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ここは自転車の楽園!本当に気持ちの良い道だった!自転車の様にバイクのエンジン音を消し去って風の音だけ聞きたいと思った。

 しまなみ海道を渡りきったら山陽道は要所要所で大渋滞!
 福山SAで尾道ねぎラーメンを食べた。
美味かった!
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 この日は山陽道は込み込みでしかも所々雨予報でヤバ目だった。大渋滞は翌日も続く見込みだった。
 色々と迷ったけど、一気に山陽道を突っ切ってレストハウスがある多賀SAまで向かうことにしました。
 渋滞のすり抜けは神経使うし、夜の高速は体力を消耗する。

多賀に到着したのは20:00頃だったかな?早速レストハウスへ行こうと思って、場所がわからずネットで調べたら、宿泊は満室!ガビーン!!この疲れた身体はどこで癒すの!?と思いつつ、とりあえず受付へ。

 ホテルの客室の様な所は満室で、仮眠室は空いてるとの事。助かった…

 仮眠とお風呂はセットで、6時間で850円。延長してもOKで、要するにお風呂入ってベットで翌朝までゆっくり眠れるわけです。

 とても良かった!大分への里帰りの帰りにまた使いたいと思った。


8月15日
 朝起きてSAでコーヒー飲みながら今日の予定を考えた。
 まっすぐ帰ったらその日のうちに家に着けるんだけど、まだ日にちに余裕があるのと、もう一泊キャンプしたいのと、とにかくどっか走りたいという気持ちがあって、能登半島を走る事にしました。

 金沢東ICまで高速使って、降りたのが8:00頃。そこから千里浜なぎさドライブウェイに向かいました。

 砂浜の道は世界で3つしかないそうで、とても珍しいそうだ。
・ バイクはスタンド立てるとズブズブ沈むので、停めたければ板を持参したほうがいいみたい。
 ・砂が乾いている所は締まってないので危険。
 でこぼこがあるのでスピード注意。
 ・海水浴客が沢山いるので飛び出し注意。

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初めてで少し緊張してたのと、とても混んでたので、出来ればもう一度、今度は人があまりいない時期に行きたいなぁ。

 新しい感覚で気持ち良かったー!

 千里浜よりなるべく海沿いを辿って能登半島最北端を目指します。

本当に海が綺麗だった!

 新潟と同じ日本海なのに、新潟の日本海は「ど演歌」で能登の日本海は連続テレビ小説の「まれ」のオープニングの様に抜ける様な爽やかな空と海だ!
 海の青さは日南海岸に負けていない!

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 千枚田は意外と感動がなかった。
 棚田を見慣れてるから?棚田が意外と小規模だった。水を張った直後や稲刈り前に行くと綺麗かも。

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能登半島の距離感が全然無くて、どのくらいの時間がかかるかなんてナビで言われてもサッパリ感覚が分からない。
 とにかく突端を目指して走りました。

 道は山の中を入ったり海岸線を走ったりな道。 気持ち良かった!

14:00頃、能登半島最先端の禄剛崎灯台到着。

 近くの道の駅狼煙にバイクを置いて10分位急傾斜の丘を登ります。
 この一週間のツーリングで最も暑くて汗かいた所だったよ。
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ここは日本列島の中心でもあるんだって。
へー。
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 この先にも能登半島最先端を自称する岬があって、ランプの宿がある所なんどけど、変な観光地化が進んでてガッカリな感じ。
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 変な方向に進んでる…

パワースポットとか言って、流行り廃りを売りにすると長続きしないよ。

 あと、青い洞窟へ行くのにお金取るのはわかるけど、なんの変哲もない展望テラスと、ただタイルを敷いた小さな小道を歩くために500円は損した気分になる。

 売り方が下手だと思うわ。

 目的の一つである能登最先端に行けたので、ここからこの日のキャンプ場を探しつつ走り出す。

 15:30 この日は見附島キャンプ場にキャンプを張る事にしました。

  キャンプ場の隣にある国民宿舎「のと路荘」で受付。
 ここのキャンプ場は予約受付が無くて、基本当日受付で助かった。
 「のと路荘」の温泉もキャンプ場利用者は17:00迄利用できるそうで、良かった!

 サイトは枠が無く、自分でいい所を決めて自由に設営してOKだそうです。

 海水浴も出来て、釣りしてる人もいるしとてもいい所だった。
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8月15日
いよいよ長い旅も終盤です。

この日は8:15に見附島キャンプ場を出発し、帰途につきました。

途中、能登島を巡ってきました。
繰り返し、本当に日本海と思えないくらい海が青い!空が高い!
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七尾から能越道に乗り、北陸自動車道を使って我が家へ向かいました。

 これだけ長く走り続けると、新潟県に入った瞬間「にいがたー!!」って叫んじゃうね。
 テンション上がった。

見慣れた景色を見てると嬉しくなってくるし、帰って来たー!って思う。

17:00我が家到着。

長い旅が終わりました。

 長いバイクツーリングは交通事故のリスクが高い。もしかしたら命に関わる事故にあうかもしれない。そう思うと、「無事に帰れて良かった」と心から思う。

 今回の旅は主に海沿いを走ったわけだけど、日本が島国と言われるように、日本はつくづく海の国なんだなって改めて思った。
 色んな海があった。小さな漁村や大阪港の様な巨大な港、海と陸が融合した瀬戸内の美しい景色。生活感が染み付いた海。果てしない太平洋。

 繁栄する都市には必ず港があるし、港がある街は海から見た景色が一番美しいと思った。

 色んな所を巡ったけど、まだまだ行ってみたい所は沢山あるし、国内だけでも知らない文化は沢山あるってわかった。

 そして、様々な所へ行って「感動する」って大事なんだと思ったし、我が子にも沢山旅をして欲しいと思った。

 また旅に出たい。



 行く前から、そして旅の道中に、道中の安全を祈念してくれた皆さんに感謝します。

親切にしてくれた人、声かけてくれた人、俺のバイクの写真を撮ってた人、旅で出会った人達に感謝します。

 大分の家では妻の両親が色々と気遣ってくれてありがたかった。またもやお義父さんと飲み過ぎてしまったが…


そしてこのような旅を最初に提案して、背中を押してくれた妻に感謝。

ありがとうございました。
 
 

捨てる


時間は誰にも平等です。
時間を何に投資するか?
何を得ようとするか?

それによって人の人生は変わってきます。

時間は有限ですから
「何に使うか?」また「何に使わないか?」をよく考えなくてはいけません。

 短い人生の中でやりたい事を出来るだけ沢山やりたいと思う事は、なんらわがままな事ではないし、限りある命を享受する者として当然の気持であると思います。
 人の命の時間と能力には限界がありますから、より多くの物事を取り入れようとするならば、何かを手放す必要があります。

 呼吸がそうであるように、先ずは今あるものを捨ててから、新たな物事を取り入れます。

 何を捨てるかというと、ネガティヴな感情やネガティヴな感情をもたらすもの。ただ消費するだけで何も生み出さない事。そういった物事から手放すべきではないでしょうか?

  今やっている事で上手くいかない物事はサッパリ切り捨てるべきだし、上手くいっている事は継続すべきです。相変わらず同じ事を続けながら、いつもと違う結果を期待するのは間違っています。

 よく、物事を捨てるという事は、その物事に対する執着を捨てるという事だと見聞きします。

 自分がなぜこの物事に執着するのか?自分自身で向き合って考えなければなりません。


自分は何が好きなのか?
自分は何をしている時が好きなのか?
自分はどんな暮らしをしたいのか?
自分はどれだけお金が欲しいのか?

自分は〜と色々と考えると、必要な物事が浮き彫りになると同時に、自分がこだわっていたはずの物事が、実はどうでもいい事だと気付いてきます。

さて、ちょっと色々と考えてなんか捨ててみようかな。