真実と善と美

 日常の中で、見たり聞いたりした事について書いています。

中学校は誰の為に?

 子どもは中学生にもなると、それぞれが違う価値観を持ち始めますよね。

 不登校で家に引きこもってネットゲームに熱中したり、承認欲求をどうすることもできなくて、あらゆる方向に弾けたり、一流を目指して学校に来ず練習や稽古に日々を費やしたり、学校で寝て塾で本気出す子どもとか、色んな中学生がいます。

 自宅から最寄りの中学校で、普通に朝から晩まで学校で勉強して部活して家に帰る。

今の時代はこの様に普通とされている中学生の方が何だが心配になっちゃいますね。

 田舎の中学校なんて保育園から小学校、中学校までずっと同じメンバーで進級して、小さな社会の中で、昔に固定された人間関係やキャラクターをひっくり返すチャンスも無く、新しい人間関係を構築する事も新しい環境に順応してゆく機会もないままに大切な時期を育って行きます。

心配になっちゃいますね。

 地域の大人は「地域の子ども達は地域で育てる」などと言って、未知の社会へ果敢に踏み出そうとする子どもの背中を押しながら、その足首をガチッと捕まえて離さない様な異常な状況をよく見聞きします。

心配になっちゃいますね。

 中学校という器に、そろそろ限界が訪れているのではないかと思います。収まり切れていない子どもが多くなってきたと思うのです。

 中学校とその学区というものが、子ども達を地域に縛り付け、可能性を潰したりしていると思うのです。

 だいたい中学校が示す「中学生はこうであるべき」というビジョンが画一的過ぎるし、古臭い感じがしますよね。色んな中学生がいるのに…



 先ずは、中学校という器がどんぶりだとしたら、それを平皿にすべきと思います。誰もが入りやすく出やすい学校である事、学区は撤廃して何処からでも行きたい学校へ行く事が出来るようにする事、それにより各学校は今までのように漫然と運営できないでしょう。教諭もボケっとしておれません。当然ながら価値を見出せない学校は入学希望者は少ないだろうし、何かに秀でた学校はそれなりの生徒が集まります。

 部活動に力を入れる学校、具体的に学びたい事があってそれに関して学ばせてくれる学校、プロを目指して活動するにあたり支援してくれる学校、学力向上を掲げとにかく勉強させてくれる学校、軽度発達障害などの特別支援が手厚く、医療福祉の専門スタッフが充実している学校、、、

とにかくあったらいいなと思う学校は挙げたらキリがありません。

中学校の役目はそもそも最低限の学力と進路の保証です。
その役目を全うするに現行の中学校の形でなければならない理由はありますかね?

否、もう中学校が進路の保証をする必要はないのではないかと思います。中学校を卒業したら間髪入れずに進学する必要はないし、必ずしも高校に進学する必要もないかと思います。

自分の進路は自分で考えて、トライアンドエラーを繰り返しながら成長してゆく所に、自分の人生は自分で切り開くんだという精神が養われるのだと思います。

自分が何をしたいのか、何が面白いと思えるか、年月が経つにつれて変化して行きますが、その時々に自分がやりたい事をやるために何をすべきか、考え実行する力が付くでしょう。


例えば
中学校に進学するにあたり、自分がやりたい事を模索して、そのために行くべき中学校を選択する。

自分がやりたい事を同じような思いを持った仲間が集まる学校で意欲的に勉強することができる。もしかしたらやっぱり合わない事もあるかもしれないけど、転校すればいい。

中学校卒業後の進路を考える時、自分のやりたい事を改めて見直す機会を与えられる。今までの積み重ねを元に自分の進路を自分で考える。

誰かに命令されてやっていることじゃなくて、自分で考えて自分で決めた事だから、責任を持って考える事が出来る。

自分の力で自分の将来を切り拓く力を身に付ける。

という風に中学校生活を過ごせたら一生の役に立つ濃密な期間になるでしょう。




子どもの将来を心配する時、どんな職につけば生きていけるんだろう?とか、英語出来ないと仕事やっていけないのでは?とか、取り越し苦労が絶えませんが、
子どもを取り巻く社会の状況がどんな状況になろうとも、変化を恐れずにどんな社会でも生きていける力を身につけさせることが、子どもにとって幸せだし、親としても安心なのではないでしょうか?