真実と善と美

 日常の中で、見たり聞いたりした事について書いています。

公文式と頭の回転効率

 小学生の頃に公文式をやっていたんですが、今大人になってから当時を振り返ると、自分なりの公文式の学習方法が思い出されて来ました。

 公文式はスモールステップで、簡単な問題を沢山やって、十分に慣れた頃に次の段階へ進むというような学習です。
詳しくはwebで→


 問題は簡単なので分からなくてイライラする事も無く、頭を悩ませる事もないですが、簡単なので考えなくなり、単調な作業と化して退屈になります。
 少し怠けるとズンズンと課題が溜まって来て、それを見るとうんざりしたものです。

 今と昔のやり方が違うかもしれませんが、一つの課題をやるのに時間を計って記録するんですが、問題が簡単になってくると時間を短縮することを目標にしていました。

 私なりの解釈ですが、公文式の学習の要諦はそこにあると思うのです。

 問題が簡単になり、考える必要がなくなって、只々単純作業の様に問題を解いている状況になったら、今度は問題を如何に省エネルギーで短時間でクリアしていけるか考える事が大事だと思います。
 問題を見て理解して解いていく流れは思考をもっとシンプルにして、考えるというエネルギーをより少なく、そして短時間に出力(書き出し)するにはどう運動するかを工夫するのです。

 この思考のプロセスって普段色んなところで自分の頭の中で行われています。
 習った事や初めてやる事を最初は難しく考えて、身体も頭も上手く働きませんが、ある時自分の中に上手く消化出来ると当たり前の様に簡単に出来る様になります。
 自分にとって飲み込みやすい形に咀嚼するということです。
 そしてシンプルにしていく試みです。

 公文式の学習は問題を解く効率を高くするべく思考する学習だと私は思っています。


仕事について言えば、例年変化無く同じ事をひたすら繰り返す仕事は、公文式に例えれば、何年間も同じ時間、同じ労力で足し算をやる様な物です。
 効率を高める試みを続けていけば、今度は二桁の足し算にチャレンジすることが容易になって来ます。

 仕事の効率を高め、更に生産性を高める事が出来る人は、トライアンドエラーを繰り返しつつもそれを糧にして事業を成長に導くでしょう。


 と、まぁ私の勝手な解釈ですが、公文式学習にはそんな効用があると思います。
 問題を解く効率を高めるプロセスを普段の生活や仕事に活かせる様になったら素晴らしいと思います。