真実と善と美

 日常の中で、見たり聞いたりした事について書いています。

クラウドからAIへ

 "CLOUDからAI へ"という本を読みました。
 


Amazon.co.jp: クラウドからAIへ 電子書籍: 小林 雅一: Kindleストア

 
 
ソーシャルブックリーディングの課題の本です。
 


人工知能 ( A I )に関する Social Book Reading やります! - Chikirinの日記

 ざっくり言うと、AIのこれまでの歴史と、今と、これからが綴られています。
 
 で、今後、AIが我々に何をもたらすか?が一番に語られる所です。
 AIは人間の能力を超えて、人間の働く場所や社会的立場を脅かすのか?或いは人にとって苦痛な労働やあらゆる苦しみから解き放ってくれるのか?
 
 今現在、身近な所でAIは利用されています。スマートフォンはもちろん、自動車にも多くのセンサーや、センサーから読み取った大量のデータを解析して自ら判断する機能が沢山盛り込まれています。
 
 私の車はそんなに新しくはないのですが、様々なセンサーや運転支援機能が付いています。
 
 年に一度は自宅がある新潟県から妻の実家がある大分県まで車で行くのですが、この運転支援機能は長距離を運転する上でなくてはならないものになっています。
 この1000キロ以上にも及ぶ長距離の道のりを、運転支援と言うAIの力を借りて旅する訳ですが、この旅程を実際のAI との生活に置き換えるととても面白いと思いました。
 
 大分から新潟へ帰る時の事です。
 
 朝7時に大分を出発します。
 妻と4歳の息子と妻の姉を乗せて出発です。
 
 全く道が分からないので、カーナビに新潟の自宅を目的地に設定します。カーナビは現時点での渋滞情報を3g回線で収集してそれを参考にしてルートを決定します。私はカーナビの案内のとおりに車を走らせます。
 
新潟の実家の両親が、長時間の運転を心配しているので出発した事を伝えるために電話をします。
 BluetoothiPhoneを車と連動しているので、Siriを使って電話をしました。


 Siriに「母へ電話をする」と伝え、電話をします。私はSiriを呼び出すためにボタンを一度押す以外にハンドルから手を離すことはありません。
 
 長いドライブなのでコンビニで軽食やオヤツや飲み物を買います。
 
 駐車する時は、予め駐車するポイントを指定すれば自動でハンドルが動いて駐車してくれます。
 駐車スペースが狭い場所やスペースの線が斜めだったりすると、とても楽チンな機能です。
 
 高速道路では、レーダークルーズコントロールを利用します。
 これは、指定した速度を維持して走行し、前方を走る車が指定した速度より遅い場合、前方の車に速度を合わせ、一定の車間距離をおいて追従する機能てす。
 そして、レーンキーピングアシストを使います。
 これは、車線を維持するためにハンドルが自動的に動いてレーンの中心を走るようにしてくれます。
 轍やカーブなど極端にレーンをはみ出しそうな時はハンドルの振動とブザーで知らせてくれます。
 
 運転者はハンドルに手を添えて前を見て座っているだけです。
 
 途中、岡山で高速を降りて義姉を下ろして再出発しました。
 カーナビは神戸の都市高速の渋滞を示しています。私は神戸を通らずに敦賀を目指し、途中で大きなサービスエリアで食事を摂り、一旦高速を降りて北陸自動車道に乗りたいと思いました。
 このような細かなルート設定は高速道路を運転しながらは無理なので、オペレーターに設定してもらうことにしました。
 こちらの意図を伝え、最適なルート設定と立ち寄るサービスエリアの設定を遠隔操作でカーナビに設定してもらいました。
 
 ここまで何となく自動車メーカーの営業みたいになってしまいましたが、とにかく長距離運転において私はかなり自動車の機能に依存していることが分かります。
 
 ところが、順調だったドライブも問題が生じてきました。
 一旦高速を降りて北陸自動車道に乗った後、レーダークルーズとレーンキーピングアシストをoffにして走っていると、前方の遅い車に気付くのが遅れたり、自然とレーンの端に寄ってしまったりということが頻繁に起こるのです。
 車線変更したり、スピードの調整をする判断に迷いが生じてきて、判断力が鈍ってきました。
 車の機能に依存するあまり、本来の自分の運転能力が劣化してしまいました。
 もちろん運転の疲れもあるかと思いますが、それにしても、自分で驚くくらい運転の判断能力が鈍っていました。
 
 朝、4:00に無事に自宅に到着しました。
 運転をかなり自動車に助けてもらったわけですが、それにしても相当に疲れてしまいました。
 
 さて、以上は大分から新潟までの車の運転における人間とAIの関係を綴った訳ですが、もしもこれが普段生活のAIとの関係だったらどうでしょう?
 大変便利で安全なAIですが、それに甘んじる余りに本来の自分の能力が劣化してしまいました。
 人間は大なり小なり「判断」に大きなエネルギーを使います。この「判断」をAIに任せることは疲れやストレスを軽減することが出来ます。
 その代わり、この「判断」を任せる事で自らの「判断」能力はどんどん劣化していくでしょう。
 
 人は「判断」するとき何を重きに置いて考えるでしょう?どんな事ならその「判断」を人に任せられ、どんな「判断」を自らで行いたいと思うでしょうか?
 
 人生はそもそも意味などありません。自分の人生に意味付けするのは自分自身です。
 他者に自分の人生の意味付けを託したら、自分の人生はその人のためになってしまうでしょう。
 
さて、改めて、どの「判断」をAIや他者に任せますか?自分にとって大事な物事の「判断」を楽だからといって知らず知らずに他者やAIに任せてはいませんか?