真実と善と美

 日常の中で、見たり聞いたりした事について書いています。

美しかった 鬼無里


 5月2日にHarleyで長野県へ走りに行ってきました。
 先ずは、糸魚川まで北陸自動車道を走り、白馬を通って鬼無里へ行き、そこから戸隠神社奥社へ向かい、参拝して上信越道信濃インターから柿崎インターまで高速を使い海沿いを走って帰ってきました。

 鬼無里へ向かった目的は、以前Harley乗りの素敵女子から「いろは堂」というとても美味しいおやき屋さんがあるというのを教えてもらって、長野へ行く機会があったら是非行きたいと思っていたからです。
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 鬼無里へはこの日初めて訪れたんですが、とても美しい田舎景色で感動しました。
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 地理的にも環境も、どこにでもありそうな普通の田舎の集落が点在するただの山間地です。
 しかし、鬼無里は茅葺の古民家が未だに多く点在し、萱をトタンで覆った家や、古民家風な雰囲気を残したままリフォームされた家も沢山ありました。
 そうした茅葺の屋根屋根が美しい雰囲気を醸し出していたし、ちょうど花盛りであちこちに桜や水仙が咲き乱れていたのがとても綺麗でした。

 全体的に田舎相応に整っているという印象です。

 鬼無里に住む人々が、この田舎の環境に価値があると見出して、それを大切に維持していると言う事、 その鬼無里が市外県外の人々にとって美しく価値があると認識されている事が、この鬼無里の美しさの所以だろうと思います。
 
 よくある田舎では、若者や子どもは減り続け年寄りばかりになり、活気が無いと言って住民が未来に悲観的で、自分達が住む場所の価値を見つけて発信しようとせず、次第に荒廃してゆきます。

 村に活気を取り戻すには、外からお金と人を呼び込むしかありません。日本の地方の何処も少子高齢が加速している中で、人口を増やそうなんて無茶です。

 ここには何があるか?ここにある何に人は価値を見出すのか?それを整えて外へ発信するにはどうすればいいか?どういった形で村に外貨を入れるか?


 住民がその地域の未来を諦めるというのは、ある意味問題解決なんだと思います。

 そこに住む事を諦め、社会インフラの整備を諦めて都市部に移動すると決めれば、思考停止して、その地域は消滅の道を突き進むでしょう。

 逆にその地域にこれからも根ざして生きていくと決意したなら、その地域で住むという課題を抱えて、様々な問題に立ち向かわなければならない。
 そうすると、地域の活性化の為に頭は思考し始めるでしょう。

 先ずはそこで暮らす住民がその場所を見限ったら、途端に産廃施設などの人々の暮らしの中に受け入れられないものを押し付けられ始めるでしょう。


 地域活性化の起爆剤は、そこで生きると決断する事から始まるのだと思います。