サッシがアルミだったりシングルガラスだったりで熱伝導が高く、窓際がとても寒かったり暑かったり。
気密が低く、室内の熱が逃げやすかったりする。
昔の住宅に比べると気密性も断熱性も数段上がった様だけど、それでもまだ冷暖房効率悪いと思う。
ハウジングメーカーによっては高気密高断熱を売りにしているところもあって、そのメーカーの建てた家に入ると、外気温との違いにビックリする。家中どこも快適で、しかも動いているエアコンは小屋裏に一台だけで家全体をカバーしてたりしてまたビックリした。
坪単価聞いてまたビックリしたけどね。
日本は四季がはっきりしていて、夏は蒸し暑く冬は凍るほど寒いのにもかかわらず、日本の住宅はなんでこんなにも機能が低いんだろか?
先ず第一に考えられるのは、日本の建築様式に対するこだわりが脈々と引き継がれている点であると思う。
確かに畳敷きの茶の間から雪見障子を通して縁側の先の庭の雪景色を眺めるっていう建築体験は素晴らしい。
日本建築特有の内と外の曖昧さ加減は絶妙で、美しい建築空間を作ってる。
第二にそうした日本的美意識が大工さんや年寄りから「家とはそういうもんだ」と言って、変な「型」化されて、そういう意識が常識として日本人にこびりついているところも原因と思う。
自分が長年過ごした家が最も居心地が良いと思うのは当たり前で、たがしかし、思考停止してそれで良しとして、新たに建てられる住宅にも自分だけの常識を当てはめようとする試みが、新しいライフスタイルの創造やそれに伴う住宅建築の進化の足を引っ張っている。
親が、子が建てた家にケチ付けるのはこの心理だ。
それにしても、美しくも無く、快適でもない、いかにも「型」化した住宅建築が多い事。
バブル期に一戸建てを所有する事がステイタスみたいになって、バンバン建てられて、今は駅の近くの良い場所に当時の住宅街が、もう古くなってびっしり並んで幅を利かせてる。
そういう家の住民は大体高齢者になりつつあるんだよね。そういう人達こそ、そういった住宅で暑さ寒さに耐えて暮らすのはとても大変だと思うよ。
愛着とか意地とか捨てて快適なマンションなどに引っ越した方が健康寿命が延びると思うな。
それにしても日本家屋の中にどんな冷暖房機器を置いてもなかなか似合わない。せいぜい火鉢とか、でもはっきり言って暖房にならない。コタツも合うけど部屋暖まらない。
扇風機とか冷風機とか似合わない。
ファンヒーターとかエアコンとか反射式ストーブやオイルヒーターとか、思いつく冷暖房機器はどれもこれも似合わない。
何で日本は家電製品が発達しているのにもかかわらず、そういう所は怠けてきたんだろう?
谷崎潤一郎先生の「陰翳礼讃」をまた開きたくなったなぁ。
建築が人間に与えるものって、建築空間としての美しさ、快適さ、安心感や安全、色々あるけど、何かを立てれば何かをあきらめなければならない。
ずっと前に安藤忠雄先生の講演を聞きに行った時に、「美しさを求める代わりに快適さを犠牲にしたりする。その反対もある。」とおっしゃっていた。
安藤忠雄先生は美しい建築をたくさん生み出しているけど、実はご本人の御宅は建売マンションなんだよね。
先にも言った通り、今まで快適な住宅建築が生まれてこなかったのは、先に挙げた理由の根底に、やはり日本人の美意識が強いのかな?って思う。そしてそれは普遍的価値観でもあるんだよね。
本居宣長の
「敷島の、大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花」
みたいなね。
そういう確固たるものが、住宅の快適さを犠牲にしたのかな?そして美意識が「型」化される事が問題だ。
でも、我慢する事が美徳とか?昨今の猛暑や寒波はそんな事言ってる場合じゃないよね。エアコン入れるの躊躇して死者が出ちゃうんだから。
現代の建築技術は進歩しているから、日本人の美意識を損なわずに、快適に暮らせる住宅建築は十分に可能だと思うんだよね。坪単価が高くなると思うけどね。
あと建築に何を求めるか?というバランスだと思うけどね。
世の中には素晴らしい住宅建築が沢山ある。そしてそういう建築それぞれには、住民の固有の価値観が表れている。
自分のライフスタイルを考える事で、"実は要らないもの"が沢山出てきたり、家具の配置が変わったり、家電製品が増えたり減ったり、間違いなく暮らしが快適になるはず。
みんながこうしてるからとか、テレビでこう言ってるからとかじゃなくて、「自分はこんな暮らしがしたいんだ」「自分のライフスタイルってこうだっ!」って言える事が、素晴らしい建築と心豊かな暮らしにつながっていくんじゃないかと思う。
自分の暮らしを再点検しよう!