真実と善と美

 日常の中で、見たり聞いたりした事について書いています。


 小学1年生の息子がおるのですが、なかなか躾に関して口うるさくなってしまいます。

 食事中、茶碗を持って食べるとか、お皿の物を口に掻き込まないとか、口を閉じて噛むとか、色々な事を毎食注意しています。

 服を着替える時、シャツをキチンとズボンに入れるとか、脱いだ物をたたむとか、日常生活の中で躾なきゃいけない事は沢山あります。

 誰かに何かをしてもらったら「ありがとう」と言う。迷惑をかけたら「ごめんなさい」と言う。

 どれも当たり前のことですが、子どもですから一から教えなければわかりません。

 当然自分自身も躾がなってないところが沢山あり、子どもに言い聞かせながら密かに自戒するところであります。

 子どもにこれらの躾をしながら、当然の事と思って言い聞かせようとしているのですが、言われて首をかしげる子どもを見て「はっ」としました。
  当然ながら、大人にとっては当たり前の事ですが子どもには理由が分からないのです。

 子どもに説明をすると、自分でも改めて気づかされる事が沢山ありました。
 なぜ、そういう気遣いをしなきゃならないのか?
 なぜそうしなきゃならないのか?

「躾」という字は身を美しくすると書きます。
 その通りで、茶道の世界では特に言われますが、美しい所作、振る舞いを身に付けるという意味でもあります。

 ではなぜ美しい所作が必要なのか?他者に対して美しい所作はどういった影響を与えるのか?

 「美」とは「調和」であります。
自然との調和、他者との調和、作為、無作為の調和が能動的に醸し出される様子こそが「美」であると常々考えています。

 「躾」は自分自身と差しあたる物事、森羅万象との調和にあると思います。

「他者との調和」という事を念頭に考えて躾というものを意識すると、必然的に躾というものの意味合いが理解することができます。

 兎にも角にも他者との調和。相手に嫌な気分をさせない。相手を困らせない。そういう気遣いが躾というものの本質だと思う今日この頃です。