真実と善と美

 日常の中で、見たり聞いたりした事について書いています。

自分の感情に無責任な世代

 今朝、NHKのニュースで「叱られ方の講習」というのを観た。詳しくは分からないけど、上司に叱られた時、どういう風に受け取ったらいいかを教えてくれるみたい。

 

 最近は自己肯定感とか自己有用感とかポジティブシンキングとかあらゆる感情や心待ちに名前が付けられて、本来様々な色が混ざり合った再現不可能で瞬間的なはずの固有の感情が、型にはめられて病名のようになってしまった。

 

 そして落ち込んだり、怒りを感じたり悲しんだりって言う負の感情が沸き起こると、それを何とかするためのメゾットというか手法が定法みたいになって世に出回っている。

 

 最近は職場からストレスチェックをさせられて、その結果がグラフ化されて戻ってくる。

 問題があれば病院に行くことを促されたり、職場での対応を指導されるみたい。

 組織的に一人一人の心の面倒を見るような真似をするようになったばかりに、そうした負の感情に苛まれた時、組織員の心のケアがいつのまにか上司やマネージャーやリーダーの責任になっている。

 組織の構成員が落ち込んでいる時、こういう風に接しなければならないとか、自己肯定感を持たせるためにこうしなきゃならないとか、リラックスした雰囲気で話を聞いてあげるべきとか…本当に余計な仕事だと思う。

 

 自分の感情に責任を持つべき。

 

 自分に降りかかった物事に対して、自分がどう思うかは自分の責任。腹が立つ人もいれば、1分で自分の中に消化してなんとも思わない人もいる。上司にちょこっと注意されたくらいで「明日仕事休みます」言う程凹むやつもいれば、前向きに捉えて自らの力に変えるやつもいる。

 

 自分の力だけでどうしょうもないくらいに精神的なストレスを抱えたり、負の感情に支配されたりしたら、それは職場のメンバーが話を聞いてあげたり、仕事を拾ってあげたりして助け舟をだすべきだとおもうが、昨今の組織のメンタルヘルスは、最初からいきなり個人のメンタルの在りようを組織の責任にしているような感じを受ける。

 

 それが当たり前の雰囲気の組織に飛び込んできた若い社会人は、はたして自分の感情に責任を持てるだろうか?

 

 SNSなどを使って飴玉をなめる様にお手軽に承認欲求を満たす。それは自己承認とは違うと思う。自分で自分を認めてあげる方法を覚えるべき。

 

 日常にモヤモヤした事やイライラした事を自分自身で解決できない人が、「スカッとジャパン」を観て、我が身を重ねてスカッとした気分になっている。自分自身でスカッとする手法や能力が乏しいからこそ、あんな番組が人気が出るのだと思う。

 自分がなぜ怒っているのか?何に恐れているのかを分析して自分自身で気持ちの折り合いをつける事を覚える必要がある。

 

 それとは別に、組織内では自分の感情とは裏腹に、「みんな」と同じ思いで…と言うことが求められる事がある。

 自分はそんなにいいとは思ってないけどみんなが「最高だ」と言うから一緒に喜ばなきゃならない。とか、自分だけ人知れず我慢して苦しんだのに、みんなが大成功で喜んでいるから傷を隠して大成功で喜ばなきゃならない。とか、組織のみんなが同調しなきゃならないので、自分がどう思っていようとも、仕方なくみんなに感情を合わせなきゃならない事が求められる場面がある。飲み会とか特にね。

 

 自分の感情に責任を持つ事を免れる代わりに、自分がどう思うかも他人に委ねなければならない社会がある。

 

 自分が怒り悲しみ苦しんだりしたら、直ちに誰かがケアしてくれる。そして、自分がいつどう思うかは他人の意向に従う。

 

 もう自分自身というものがなんなのか?わけわかんないね。誰かが作った台本の通りに役割演技をさせられているみたいで気持ち悪い。