真実と善と美

 日常の中で、見たり聞いたりした事について書いています。

伝承

 弟子の中で私だけかもしれませんが、この間の剣術の稽古は今までとは違う雰囲気を感じました。

 何か霊的なものを感じました。

 

 師匠は稽古の折々に、ご自分の師匠から教わった時の事を思い出しながら説明してくださいました。ご自分が教わった時の想いや、今振り返って思う事を述べられてご説明してくださり、時空を越えて師匠の剣術の道のりに繋がっている様な気がしました。

 

 教えてくださる内容もより高度になってきました。

 

 今回の稽古は「教えていただく」というより「伝えていただく」という感じを受けました。

 ただ正しい刀法を教えるではなく、ご自身が教わった時の空気感も一緒に伝わってきた様な感じがするのです。

 「感じ」とか「雰囲気」とかっていうものは、教わるものではなくて、感じるものですから、それは伝わるものだと思います。

 

 録画や録音して記録しても伝わらないというのがよくわかりました。

 

 伝承とはこういう事なのかもしれません。

 だから記録というのは伝承されたものから見れば、形だけで中身が足りないのかもしれません。だから実際に五感で感じ取って非言語の概念として自分の中に溜め込む事がとても大事なのだと思いました。

 

 最近はSNSや動画などで武芸をやっている人、やっている様子を簡単に見る事ができる様になりました。

 それが本物であれ偽物であれ下手くそでもなんでもかんでもUPされていますが、それだけを見る事が如何に無駄なことか、やはり実際に自分で足を運んでその方にお会いして、話を聞いてみせていただかないと何も知る事ができないと常々思いますが、この日を境により一層そう思う様になりました。

 

 そして武芸に限らず、ネットにUPされたものだけを見て判断する人が多いと見受けられるにあたり、我々がやっている事をネットに晒す事は余計な解釈を受ける事になると懸念します。

 従って、いつも周囲に言うように、本当に大切な物事は解釈を逃れる事が大事だと思うのです。

 

 人は繋がる部分と繋がらない部分をキチンと分けておかなければならないと思います。

 

 であればこそ、大切な繋がりを大切に守っていかなければと思うのです。