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論語と算盤 渋沢栄一叢書 | 渋沢栄一, 渋沢栄一翁顕彰会 | 企業倫理 | Kindleストア | Amazon
読み終わってから読書感想文を書こうと思ってたんですが、なかなか中身が濃ゆいので、まだ読み始めたばかりですが、「ここ大事!」というところを備忘録も兼ねて感想を書き残したいと思います。
渋沢栄一さんは昨今大河ドラマも手伝って有名になりましたが、みなさんご存知の通り、人の一生の内に成せるであろう何倍もの業績、功績を重ね、近代日本の経済に多大な影響を残しました。
その渋沢さんは商才と道徳は離れざるものとして、その道徳は論語によって養えるものだと説いています。富の根幹は仁義道徳であり、正しい道徳でなければ、その富を永続せしめる事はできない。そこで論語と算盤というかけ離れたものを一致させることが今日緊要の務めであるとの事です。
さて、最初の方で「人物の観察法」という項目があります。私はこのテーマに惹かれました。
なぜかというと、前記にあるように、渋沢さんはその生涯の内で、多くの会社や事業をスタートさせたり、多くの功績を残し、日本の経済の礎を築きました。
普通の人が一生のうちになし得る事の何倍もの事を成し遂げたのですから凄いです。
であれば、きっと普通の人の何倍もの人との出会いがあり、関わり合いがあって、多種多様な人と仕事をしたと思います。
志をもっている人、隠し事がある人、金儲けしか興味がない人、本当はやる気がない人、などなど色んな人と関わる機会があったかろうと思います。
そんな多くの様々な出会いの中でどうやってその人の如何なるかを見たのか?というところが気になったからです。
渋沢さんはこのテーマの中で佐藤一斎先生の「言志録」にある「初見の時に相すれば人多く違わじ」という言説を引き合いに出しています。
つまり
人と初めて会った時に得た印象によってその人の如何なるかを判断するのが、最も間違いのない正確な人物観察法なり
という事です。
初対面の時に観たものがもっとも誤りが少なく、その後たびたび会うようになると、事情に囚われたり、人からの噂を聞いたりして人物の観察を誤るのだそうです。
確かに初めて会う人のぱっと見の第一印象は最初にあ会った時から何度も会ってからも変わらないですね。どんなに当初の印象に様々な情報で脚色されたとしても、やはり最初の印象は正しいように思います。
初対面での印象はとても大事であることが分かります。お互いに。
佐藤一斎先生の「観察法」よりも更に人を真に入ろうと試みた場合、論語の「子曰く、その以いるところを視、その由るところを観、その安んずるところを察すれば、人いずくんぞ痩さんや」という様に、「視、観、察」の三つを用いた人の識別法が有効であると説いています。
まずはその人の言動を観、その言動、行為の元となる動機をよく観て、そしてその人の安心はどこにあるのか?何に満足して暮らしているのか?をよく観る事で、その人の真の姿が明瞭になるとの事です。
どんなにその言動が立派であろうとも、その動機が不純である場合もあるし、言動もその動機も立派であるにも関わらず、決して人に褒められるようなものではない、良心の無い趣味趣向があったりしたら、何かのきっかけで立派な言動や考えがコロッと変わる場合があるというものです。
行為と動機と満足する点 の三拍子が揃って正しくなければ、徹頭徹尾正しい人とは言えないという事です。
きっと渋沢さんはこの様にして出会う人の人物を見ていたのだと思います。
サイモン・シネックさんのTEDの講演を思い出しました。
人は「何」にではなく「なぜ」に動かされるのです。信じることを行動に移すのです。信じることを示すために行動するのです。
この「why」の部分が論語でいうところの「その安ずるところ」にあたるのではないでしょうか?
その人が休日にどんな過ごし方をしているのか?どんな過ごし方が好きなのか?何に安らぎを覚えるのか?何に信念を置いているのか?そういったところを察すると、その人物の如何なるかを知ることができるのではないでしょうか?
先ほどから「人物の観察法」という事で書いてきましたけど、自分自身に向けたら「自分自身の観察法」ということになり、自己啓発に大きなヒントをもたらしてくれそうな気がします。
「自分は何を信じ、何に安らぎを感じるのか?何を大事にして、ものを考え行動しているのか?」whyの所から見つめ直し、そこから自分の動機や言動の最適化を図る事がで来るのではないか?と思います。
さてさて、「論語と算盤」は多くの気付きを与えてくれそうで、読みすすめるのが楽しみです。
また追って読書感想文を書きたいと思います。