真実と善と美

 日常の中で、見たり聞いたりした事について書いています。

本物の武芸兵法の終焉

 日本の武芸は、ただ相手を倒す為ではなく、仁愛を以って他者との調和を醸し出すものです。

 武芸をやる目的は護身の為でもなく、人より強くなる為でなく、自らの心と身体に自在を得る為です。

 

 兵法に上も下も上手下手もなく、勝った負けたもありません。

 

 YouTubeなどで武芸や兵法の動画を観ていると、(YouTubeに動画を上げている時点で視聴回数を上げたい、目立ちたいという思惑が根底にあるのでろくな人はいませんが)相手を打ちのめしたり、相手の手首を捻り上げてドヤ顔してる人とか、そんな低俗なものばかりで辟易します。武芸兵法とは名ばかりで格闘技になっています。

 格闘技はそれはそれで否定はしませんが、武芸とは全く別のものであると認識しなければなりません。武芸に格闘の要素を求めているのであれば、それは非常に勿体無い事であり、武芸への理解が非常にあさはかであると言わざるを得ません。

 

 我が国に古来より伝わる素晴らしい悟りを包含した武芸をただの格闘と同列化してその表面的な技術だけを追い求め、未熟者の解釈によって伝えられるのは、日本の武芸の素晴らしさを知る者の一人としては実に耐えられません。

 

 武芸は仁愛を以って他者との調和を醸し出しながら伝えて行ければ一番良いのですが、伝承を受け取る方に素養が備わっていなければ武芸そのものが毀損されかねないのです。

 

 そもそも何故こんなにも武芸、武道、兵法が世の中に広まり認知されるようになったにも関わらず、相手を倒す為であるとか、技術だけに走ったり、師匠を権威付けすることに勤しんだりする様な事が大半を占めるようになったのか?そしてそんな低俗なものに後付けで幼稚な精神論などを恥ずかしげもなく語るようになったのか?

 それはひとえに武芸をやる者に教養が無いの一言に尽きるのだと思います。

 ただ単に自尊心を保ちたい、承認欲求を満たしたい、人よりも何かしらで優位に立ちたい。そんなもののために日々武芸や武道を頑張っている人で溢れているわけです。そしてその努力の結果、人を捻り上げて弟子達にドヤ顔してみせる大先生の出来上がりで、弟子達は自らも人を捻り上げてドヤ顔したいから頑張って大先生のようになろうとするわけです。

 

 私は師匠から、またその師匠から遡ること何百年も伝えられてきた素晴らしい教えをその様な人達に踏みにじられることは耐えられないし、穢される事も看過出来ません。

 従って大変貴重で素晴らしい教えは、弘流する事無く、他者からの解釈を逃れて秘密にしておくことが最良なのではないかと考えておる昨今です。

 もしかしたら、同じ事を考えている人は他に多くいて、数多の兵法が「伝が絶えた」という形で蓋を閉めているのかもしれません。