真実と善と美

 日常の中で、見たり聞いたりした事について書いています。

東京に雪が降って思う事

 東京方面に雪が降って高速道路が通行止めになったり交通インフラが大きな影響を受けています。また、普段雪が降らない地域なので知るに及ばぬところまで多くの影響が出ている事でしょう。お見舞い申し上げます。

 


 雪国に住んでいるものとして、普段雪が降らないのに積雪に見舞われると大変だろうとおっ察し申し上げます。

 


 しかし心の中でほくそ笑んでしまうところもあるのです。

 なぜかというと、

 


 雪国で大雪が降って交通麻痺が起きたり、道路やライフラインが寸断されて孤立したり、除雪作業中に怪我人や死人が出たりして大変な状況に陥っても多少ニュースに取り上げられるも、大した問題として取り上げられない。心配されていない感じがします。これは個人の感想になるわけですけども。

 「雪国は大変ですね」という一言で片付けられてしまっている様に思います。雪国に雪が降って当たり前なんですが、度が過ぎれば甚大な災害、雪害になるわけです。

 雪が降る地域に住んでいる事の報いを受ける事はいたしかたない。という感じを受けるわけです。

 ですが日本のどこに住んでいようとも行政サービスや福祉サービスを受けることができ、生活を営むことができる社会こそ、成熟した社会といえるのではないでしょうか。

 地方も社会活動を維持する必要性がある事をまずもって理解してほしいです。雪害がもたらす被害を詳らかにして問題意識を共有してほしいですね。

 


 要するに、雪国で災害級の大雪が降っても、その時だけニュースになるだけであまり心配されないので、関東で雪が降った折には多少なりとも雪が降った時の大変さを教訓として共有してもらえるのかな?と期待する次第です。

 


 第二に、もっと自然を受け入れろと。

 


せいぜい72時間ほどあれば跡形もなく消えて無くなる様な雪に大騒ぎしすぎだと苦笑してしまうのです。

 


 東京で降る雪などは先に書いた様にいつまでも残るものではありません。せいぜい72時間位で無くなるでしょう。それなのに無理やりノーマルタイヤで車を走らせようとしたり、通勤通学を押し通したり、平常時と同じ事を押し通そうとする様子に滑稽さを感じます。

 もちろん車椅子で移動する人やデイサービスを受けている人、盲目の人、大変な方々はおられると思います。そういった方々はこの話題に含めません。

 


 人は自然と共に暮らしている事を完全に忘れている様に思うのです。

 雪国に住んでいれば否が応でも雪という自然の影響を受けます。

 それは人の力ではどうしようもないものです。降った雪を出来うる限りなんとかするしか手が無いのです。

 北海道の寒さも桜島の降灰も海辺の塩害も同じと思いますが、自然を受け入れて暮らしていかなければなりません。いかに文明が進んでも自然の中で暮らしていることに変わりなく、自然に対して畏敬の念を忘れてはいけないのです。

 


 人はボタンを押せば反応があり、フリックしたりタップしたりすれば反応があり、その様に「こうすればこうなる」という状況に慣れすぎていると思います。世の中は自分が思った様にならないものが多いという事を忘れている様に思います。自然や他人や子どもはその最たるものです。大都市部に住んでいると忘れがちになるのでは無いでしょうか?

 明治神宮の再開発を見るに同様に感じます。既にある素晴らしく育てあげた森をわざわざ殺して不動産開発に都合のいい様に不自然な自然を演出する愚行に、自然に対する人間のわがままを感じます。人は自然を越える美しさを自然を模倣したもので生み出す事はできないと思います。生花も庭も美しさの要素を切り出したにすぎません。神宮の再開発は、桜の木を根本から伐採して部屋に桜の枝を生ける様なものです。

 


 自然がもたらした不便を受け入れる寛容さと、人の内にある自然性を大切にしなければならないと思います。

 


 今現在、能登半島地震で被災した方々は寒さの中、自然がもたらしたどうにもならない現実と向き合い、やるせない気持ちと何とか折り合いをつけようと努力して、少しでも前に進もうと日々過ごしておられる事でしょう。

 


 ちょっとの雪くらいグダグダ言うな。