真実と善と美

 日常の中で、見たり聞いたりした事について書いています。

なんで自然を大事にしなければならないのか?

 

 森羅万象は何一つとして独自に存在しているものは無いんです。互いの存在が協調して確保し合っているんです。

自然、つまりこの宇宙全体の働きというのは、調和の復元作用なんです。調和している間はそれは安定しているけど、その調和が崩れると不完全を完全にしようとする自然の作用が働くんです。ちなみに人間の細胞一つ一つも意識して働いているわけではなくて、自然に活動してますよね。人間の身体も自然です。

 そして調和は事は美しいです。

 

 綺麗と美しいの違いって何だと思います?

 デザインと芸術の違いと同じかと思うんですけど、デザインは問題解決したものです。使いやすく、見やすく、歩きやすくという様にしたものです。デザインしたものって綺麗ですよね。

 

 芸術って美(調和)であり問題提起です。

 

 自然なんですよ。芸術は自然を模倣したものだと思います。

 例えば森の中を歩いていて、目の前に枝が張り出していたとするじゃないですか。美しい枝ぶりで、それは芸術的です。生花の心得がある人なら一目置く様な。その瞬間に人間は「美」に対峙するわけです。でも、そこは人が歩く場所だから枝が邪魔だと思う人が一定数いて、それが人間の暮らしに対する自然の問題提起になるわけです。もっと本質を言えば、自然は勝手に調和してるので問題でもなんでもないんですけど、ただ人間が自分たちの暮らしとの折り合いをつけなければならないので問題が発生するわけです。人間が自然とどう向き合うか?が問いです。

 

 そして枝を折るか枝を避ける道を造るかしないといけないわけで、それがデザインになるわけです。

 

 自然は人間の事なんてお構いなしに存在しているんですけど、人間が自然、あるいは自然の仕業に対峙した時、そこに芸術性が生まれるのだと思います。

 しかもどちらかというと、大いなる自然の中に、かしこみかしこみ人間がちまちまと暮らしているわけです。

 

 物事を生み出す又は作り出すには、自分自身が宇宙全体の働き、調和の復元作用のエネルギーを取り入れると何事もすらすらと物事が運ぶんです。

 無為自然の状態であることが肝要で、無為自然であればこそ、宇宙の創造的なエネルギーを活かすことができるんです。心も身体も自在な人、あるいは自分の未来を意図的に創造できる人ってそれができるんですよ。たがら元気なんですよね。

 

 自然の中にいたり感じたりすると元気になるのは自分自身が自然と同調して自らも無為自然になるからです。わずかな時間でもその状態になれば、エネルギーが絶え間なく自分に得られるんです。

 また、瞑想などでもその効用は得られますね。

 

 だから自然は大事にしなければならないのだと思います。