真実と善と美

 日常の中で、見たり聞いたりした事について書いています。

アイデンティティー(自分とは何者か?)

 最近何冊か本を読んでいる中で「アイデンティティー」と言う言葉が何度かクローズアップされていました。

 自分のアイデンティティーってあまり考えたことが無かったように思います。

 自分が何者かって人に説明する時、何と説明しますか?

 「私は医者です」とか「経営者です」とか「常に自由を愛する人です」とか「主婦です」とか「YouTuberです」とか…

 

 自分を語るにアイデンティティは一つではないと思いますが、人それぞれですよね。

 

 アイデンティティは習慣を形作ると言われています。そう言われると確かに覚えがありますね。自分は父親だって言い続ければ言動も父親らしくなってると思いますよ。子どもの事を気にかけたり、進んで家事をこなしたり。或いは私は〜の一員だって思えばそれらしい立居振る舞いになったりするもんですよね。

 

 また逆に習慣がアイデンティティを形成してゆくってパターンもありますね。そしてその習慣が人に褒められればそれが自信に繋がり、誇りに思い、自尊心が育つという様なことになります。

 例えば、なんとなく始めたバイトだけど、沢山のお客さんから感謝されて、いつの間にか自分の生涯の仕事になっちゃったとか。

 

 普段の生活の中で自分に欠落してる部分てアイデンティティが欠落してるんじゃないかな?って思います。例えば私は夫ですってアイデンティティが欠如してると、あんまり奥さん大事にしてなさそうですよね。

 

 ただし、人生の節目節目でアイデンティティ固執して変わらないでいるとおかしなことになります。結婚して夫になったのに、未だに「私は自由でやりたい事をやり、行きたいところに行く人間だ」みたいなアイデンティティしか持ってないと、結婚したのに全然夫らしくなく、子育てに無関心だったり。「私は親だ。この子の成長の為なら骨身を惜しまず努力できる親だ」というアイデンティティを持てたらたちまち親らしくなるけど、子どもが皆独立したのに先ほどの様な親としてのアイデンティティにぶら下がり続けて、子どもが独立していなくなって心にポッカリと穴が空いたみたいになっちゃって、何して良いかわからない虚な人になっちゃったり。

 

 自分がどんな人間になりたいかって節目節目にはっきりさせる事でその時の自分に合ったアイデンティティの確立になり、アイデンティティが行動の変化につながるわけですね。

 

 中村天風先生が、「命令暗示法」なるものを説いていて、毎晩寝る前に鏡に向かい、例えば「お前は集中力が身に付く!」と言って、朝起きた時にまた鏡に向かい「お前は集中力が身に付いた!」という様な事をするものなんですけど、これ続けると2〜3日で変化が訪れたりするらしいですよ。これもまた自分のアイデンティティをはっきりさせて、自然に日常の習慣に変化を促す事かと思います。

 

 強い信念でそのアイデンティティを持つ事ができたら、きっと少しずつ習慣が変わり、人生もそれなりのものになってゆくのではないでしょうか?

 

 しかしながら、そう言った自己定義は固定観念になり、不自由さの原因になりかねません。

 だからこう言う事にしたほうがいいかもしれません。

 私は父親でもあるし、私は夫でもある。の様に…

 

・自分が何者か、アイデンティティをハッキリとする事で自分の習慣に良い変化をもたらす。

 

・自分が何になりたいかハッキリさせる事で自分がなりたい人間になる為の習慣が自然と身につく。

 

・柔軟に自分のアイデンティティを見直す事で人生の節目に新たな展望が開かれる。

 

・自分に対して強い暗示をかける事でアイデンティティが強化され、習慣も強化される。

 

 

人はなりたい者になれるし、未来だって自分で決められる。