真実と善と美

 日常の中で、見たり聞いたりした事について書いています。

ザリガニ

 息子がザリガニを飼いたいと言い出して、ザリガニ釣りに行く約束をしてみたものの、どこにザリガニがいるか意外と分からないもんだね。

 Facebookでザリガニのいる場所をおしえてって書いたら、沢山のタレコミ情報もらって感謝感謝です。

 最初は自宅の近所の田んぼの小川に行ってみたけど、田んぼは水を落とす時期で全体的に水が少なくなっていて見当たらなかった。

 次に市内の公園。畑仕事していたおじさんが一緒になって探してくれたけど、結局ダメだった。
 小学校の校外学習で子ども達が押し寄せて大分捕まえてったみたい。

 ところでウチの息子は学校の登校中に商店街の側溝にいるザリガニを傘で突いて遊んでたみたいで、それを見た商店街の人が学校にクレーム入れたみたい。
 ということは息子がいつもザリガニをいじめてるとこに行けばいいじゃん!ということで行ってみるも、やはりザリ氏はいなかった。

 ここまでの間にもFacebookには色々と情報が寄せられて、色々と行ってみたいところはあったんだけど、息子は道路に飛び出したところを俺にこっぴどく叱られた事と、疲れた事でその日はもうザリガニ熱はクールダウンで、ザリガニ釣り終了な感じ。

 翌朝、ダムのビオトープに出陣!

 餌の煮干しを垂れてみると結構いるいる!

 しかし俺は子どもの頃はザリガニは手掴みで獲ってたから、釣り方式で獲るって経験がほとんど無いんだよね。とはいえ大人になって泥水の中に手を突っ込むのはちょっと…
 
 よく見てると所々で「チャプっ!」と音を立ててザリガニが動くんだわ。
  明鏡止水の心持ちで、ザリガニが音を立てた場所の中で最も釣り易い場所を選び、糸を垂らして静かに待つ。
 息子が喉が渇いたと言っても心動かじ、「もしさぁ、ここにでっかい鯨が泳いでたらどーする?」という問いかけにも動じず…

 すると足元で「ちゃぷん」という音が!
慌てて見るとそこには見慣れたiPhone6が…
映画タイタニックのクライマックスで沈みゆくジャックのようにゆっくりと水没していく、iPhone6が!

 俺の脳のシナプスは"池に沈みゆくiPhone6=誰かの落し物」という都合のいい接続をしてくれたけど、1秒で気がついた。「これは俺のだ」と。

 すぐに電源切ろうと思ったけどスリープボタンが効かなくなってて、あれよあれよという間に、画面が真っ青になったり真っ黒になったり繰り返してた。

 もうさ、ここまできたらもう何が何でもザリガニ釣って帰らねばならんと思ったね。
 だってiPhone6を御供えしたんだもん。

 気を入れ直して、下手なりに頑張った結果2匹ゲットしました!

 段々と面白くなってきたけど、息子が飽きてきて「帰ろうよ〜」とか言い出して終わりにしました。ってか、誰のためにザリガニ釣ってんのか??

 帰りの車中は息子は念願のザリ公をゲットしてご満悦で
息子>>「ねぇ、もしさぁ、ザリガニがハサミだったらどうする?」「ねぇiPhoneが落ちたのってさ、僕のせいじゃ無いよねー」
俺>>「そうね〜そうね〜」

心ここに在らずですよ。相変わらずiPhoneはパチンコ屋のネオンみたいに画面が青くなったり黒くなったりしてるし…

 ザリガニの事後処理は妻に押し付けて、早速にiPhone6が辛うじて動くうちにiCloudにバックアップとって、Applecareに電話し、ビッグカメラに連絡したらなんと!その週末に限ってAppleの修理等の受付システムがメンテナンスで休業だとか…

 結局月曜の猛暑の日に、妻に0歳の娘を連れてビッグカメラに行ってもらいました。

 かたじけない!妻よ!

 息子よ、そのザリガニの価値は高いぞ!

大分県杵築市の火災事件

大分県杵築市で住宅が全焼し、放火の罪で自衛官が逮捕された事件。

尊い幼い命が失われました。

 亡くなった子ども達の父親である、逮捕された自衛官はどういう精神状態で家に火をつけたのか?衝動とはいえ何故そういう行為に走ったのか?これから調べが進むにつれて分かってくるかと思います。

 世間はこの父親の行動を一方的に非難するばかりですが、この父親だってこんな顛末を望んでいたはずではありません。
 この父親の心を救う手立てはなかったのでしょうか?

 8人の子どもを抱える大家族だったそうで、父親はその身分から一家の稼ぎ頭だったかと思います。

 ニュースによると父親は職場で悩みがあったそうです。
 自衛官の生活は日常そのものが仕事です。職場の環境から身も心も完全に離れる事はなかなか難しかったのではないでしょうか?

 そんな中、杵築市の自宅に帰る事は仕事から逃れて束の間の安息が出来る機会だったのではないでしょうか?

 しかし家に帰ったら子育てに翻弄されている妻に相手にされない。
 8人の子どもを育てているわけですからそれは当然の事と思います。

 心身ともに疲れて唯一の逃げ場である自宅に帰ったのに、自宅での扱いがそれでは、積もり積もった心の何かが爆発してしまうのも察っする事が出来ます。

 8人の子ども達を養うには多くの生活費が必要だと思います。
 自衛官の仕事がいくら自分の心身を圧迫して、逃れたいと思っても、家族を思えば自衛官を辞めるという選択肢はありえないと考えていたのではないでしょうか?

 だからと言って奥さんの方も8人の子育ては相当に大変だったと思います。夫を心配している暇など無かったでしょうし、毎日が精一杯だったと思います。


 父親は何故そこまで心身ともに限界を迎えてまでも自衛官を辞める事を考えなかったのでしょうか?
 公務員の待遇は民間人に比べればとても恵まれています。公務員の待遇と比べたら、他の仕事の待遇は不満ばかりでしょう。

 でも、問題はその待遇で自分が納得できるかどうかです。
 公務員を辞めて他の職に就いたら生活レベルを格段に落とさなくてはいけない事になるかもしれません。
 持っているものを手放して当たり前の生活を諦める事になるでしょう。

 でも、それで自分や家族が納得すれば、なんら不幸せな事はないと思います。

 公務員を辞めるというのは世間的に見れば勿体無い事だと思いますが、本当に嫌だったら辞める事を考えるべきです。

 自分を殺し、我慢して、嫌な思いをし続けながらそれでも捨てがたい地位でしょうか?


 もしもこの自衛官の父親があっさりと自衛官の地位を捨て去ったらどうなっていたでしょう?

 子ども達にはクラブ活動や塾を諦めてもらう事になり、今までよりも生活のレベルを大きく落とす事になるでしょう。ギリギリの生活になるかもしれません。しかし、毎日子ども達と過ごし、妻の家事の手助けをし、妻と生活の苦労を労い合い、不便でも朗らかな暮らしができたのではないでしょうか?

 この父親にとって人生の大切なものって何だったのでしょうか?最後の最後に守りたいものって何だったのでしょう?

何か大事な事を見失っていたのではないでしょうか?

“If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?”
もし今日が人生最後の日なら、今日やろうとしていることは、本当に自分がやりたいことだろうか?  byスティーブ・ジョブズ

ストレス解消法〜時代劇からワイドショーへ


 人間はただ何もせずにそこに座っているだけでも少しずつストレスを溜めていきます。

 人間、社会の中で生きていれば誰しもが必ずストレスを多かれ少なかれ溜めていきます。

 テレビが盛り上がっていた時代は尚更の事、家庭でのリラックスタイムはテレビが主役という所が多数で、今も昔もテレビ番組はストレス解消の一助を担うコンテンツである訳です。

 昔は時代劇が沢山放送されていて、内容はどれも共通して、悪役が何も罪もない人々に酷い仕打ちをして、人々はそれに抗う事もできず、絶望に打ちひしがれた姿を視聴者に見せて、そしてどこか自分の満たされない想いと共感する部分が可哀想な登場人物にもあって、それが尚更悪役への憎悪を湧き立たせます。
 そこで正義の味方が悪役を粛正して、それを見た視聴者は、心が晴れ晴れとするわけです。

 良いストレス解消のコンテンツだったと思います。

 しかし今はストレス解消の役目を時代劇からワイドショーがとって代わりました。

 時代劇よりも現実的で、事件の当事者の境遇と自分を重ね合わせ易く、他大勢と加害者を断罪する事で自分も正義の側に立っている気分になるのです。

 人は皆、悪役を探して、それを叩く事で鬱憤を晴らしているところがあります。
事件の悲惨さや哀れさをことさら強調して、被害者側の悲しみを増幅し、加害者への憎悪を高めてみんなで叩きまくる。

 タチが悪いのは、明確な悪役が居れば叩く事が出来るのですが、いない場合は自分達と違う人、自分達と違う考えを持つ人、自分達が信じてきた物事を変革させようとする人、自分達が価値があると信じてきた物事を否定する人を悪役に仕立てるのです。

それ健全とは言えるか?
いじめの構図と似てないか?


 ワイドショー好きや、テレビのニュースや週刊誌などで情報を得る人は気をつけたほうがいいと思います。
 情報を得ているつもりが、いつの間にか社会的イジメに加担しているかもしれないし、自分の満たされない想いを歪んだ手法で晴らそうとしているかもしれません。


 自分がどれだけストレスを溜めているかを自覚することは大事だし、それをどうやって解消するか、いつでもその手段を用意しておくことも大事だと思います。

 好きな事に打ち込んだり、気分が良くなる音楽や、笑えるコンテンツを楽しんだり、運動をしたり、健全なストレス解消法を自分なりに模索しておく事が、心身共に健全に保つ上で必要だと思います。

サントピアワールド

 ゴールデンウィークにサントピアワールドへ行ってきました。

https://instagram.com/p/2Ulq4LpHHm/

サントピアワールドNow


 小1の息子は少しずつ楽しめるアトラクションが増えてきて、行く毎に楽しみが増している様です。
 初めて恐竜のジェットコースターに乗って興奮していました。

 1日たっぷり楽しんでとても満足気でした。

 サントピアワールドはその昔、安田アイランドという名前で、私が子どもの頃も両親から連れて行ってもらったり、保育園の遠足で行ったりしていました。

 思い出深い所です。

 大人になって今度は我が子を連れて歩く事を感慨深く思います。

 私の他にも同じ想いのパパママ達は多いのではないでしょうか?
 サントピアワールドは大切な思い出の場所であり、子ども達にとってとても楽しい遊園地であります。

  しかし、サントピアワールドは所々老朽化して、アトラクションの塗装が剥げたり、機械が古くなったり、広い敷地内は細かな所まで手が届かない様です。

 先程も言った通り、安田アイランド、サントピアワールドは今の子の親世代や子ども達にとってとても大切な遊園地です。

 これから先も子どもとの思い出作りの場になって欲しいと思います。

 そんなサントピアワールドの為に力を貸して欲しいと言ったら、惜しみなく力を貸してくれる人は沢山いるのではないでしょうか?

クラウドワークス
などを利用して、人手が必要な作業を手伝ってもらったり、塗装費用や機械入れ替え費用を多くの人から少しずつ出してもらったり、代わりに回数券をプレゼントしたり、出資金額によっては「年間パスポート」や「待ち時間ゼロ優待券」とかプレゼントしたりしたら、結構資金や労働力が手に入ると思います。

 また、来園者もサントピアワールドの為に自分に出来ることを少しでもやる事で、サントピアワールドに少しでも貢献出来たという幸福感を得られるし、チケット代が少しでも安く上がるし、良い事が沢山あるように思います。


 サントピアワールドは多くの親子にとって大切な場所です。

 サントピアワールドはみんなのサントピアワールドであるわけですから、みんなで盛り上げていけたらと思います。

 そうしたらきっと多くの親子にとってサントピアワールドは宝物になるでしょう。

美しかった 鬼無里


 5月2日にHarleyで長野県へ走りに行ってきました。
 先ずは、糸魚川まで北陸自動車道を走り、白馬を通って鬼無里へ行き、そこから戸隠神社奥社へ向かい、参拝して上信越道信濃インターから柿崎インターまで高速を使い海沿いを走って帰ってきました。

 鬼無里へ向かった目的は、以前Harley乗りの素敵女子から「いろは堂」というとても美味しいおやき屋さんがあるというのを教えてもらって、長野へ行く機会があったら是非行きたいと思っていたからです。
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 鬼無里へはこの日初めて訪れたんですが、とても美しい田舎景色で感動しました。
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 地理的にも環境も、どこにでもありそうな普通の田舎の集落が点在するただの山間地です。
 しかし、鬼無里は茅葺の古民家が未だに多く点在し、萱をトタンで覆った家や、古民家風な雰囲気を残したままリフォームされた家も沢山ありました。
 そうした茅葺の屋根屋根が美しい雰囲気を醸し出していたし、ちょうど花盛りであちこちに桜や水仙が咲き乱れていたのがとても綺麗でした。

 全体的に田舎相応に整っているという印象です。

 鬼無里に住む人々が、この田舎の環境に価値があると見出して、それを大切に維持していると言う事、 その鬼無里が市外県外の人々にとって美しく価値があると認識されている事が、この鬼無里の美しさの所以だろうと思います。
 
 よくある田舎では、若者や子どもは減り続け年寄りばかりになり、活気が無いと言って住民が未来に悲観的で、自分達が住む場所の価値を見つけて発信しようとせず、次第に荒廃してゆきます。

 村に活気を取り戻すには、外からお金と人を呼び込むしかありません。日本の地方の何処も少子高齢が加速している中で、人口を増やそうなんて無茶です。

 ここには何があるか?ここにある何に人は価値を見出すのか?それを整えて外へ発信するにはどうすればいいか?どういった形で村に外貨を入れるか?


 住民がその地域の未来を諦めるというのは、ある意味問題解決なんだと思います。

 そこに住む事を諦め、社会インフラの整備を諦めて都市部に移動すると決めれば、思考停止して、その地域は消滅の道を突き進むでしょう。

 逆にその地域にこれからも根ざして生きていくと決意したなら、その地域で住むという課題を抱えて、様々な問題に立ち向かわなければならない。
 そうすると、地域の活性化の為に頭は思考し始めるでしょう。

 先ずはそこで暮らす住民がその場所を見限ったら、途端に産廃施設などの人々の暮らしの中に受け入れられないものを押し付けられ始めるでしょう。


 地域活性化の起爆剤は、そこで生きると決断する事から始まるのだと思います。

天国と地獄



 先日息子が私に「天国と地獄って本当にあるの?」と、尋ねてきました。

 私はこう答えました。

 天国も地獄も無いよ。
 天国ってどんな気持ちになる?気持ち良いし楽しいし嬉しい気持ちになるでしょ。
 地獄ってどんな気持ちになる?苦しくて辛くて怒って悲しい気持ちになるでしょ。

 そんな気持ちって今いるこの世界でも感じる事でしょ。
 だからこの世界は自分次第で天国にもなるし地獄にもなるんだよ。

 いろんな物事を見聞きしてどんな気持ちになるかは自分次第だし、自分の責任なんだよ。
 自分の気持ちを人のせいにしちゃいけない。

 いつも怒ってばかりいたり、悲しんでばかりいたり、文句ばかり言ったり、嘘ついてごまかそうとしたり、そんな日々を送ってたら毎日が地獄みたいでしょ。

 逆に凄いなぁーって思ったり、ありがとうって思ったり、嬉しかったり、喜んたり楽しい日々を送ってたら毎日が天国でしよ。

 だから自分の感じ方や心がけでこの世は天国にも地獄にもなるんだよ。



 この世を天国にする方法は簡単だよ。

 見るもの聞くもの触れるもの全てに「いいね」って言ったり思ったりすればいいんだよ。
 いろんなもののいいところを見つけて「いいね」って言うとこの世の中がとてもいいところに思えるんだよ。
 カラス見ては「カラス元気そうでいいね」
 山を見ては「山キレイでいいね」
 信号機見ては「赤か、ちょっと景色が良く見えるね」とかね。

 人にはさ、その人の良いところ一つ見つけたらその人の100ある嫌なところ忘れちゃえば良いんだよ。


 逆に見るもの聞くもの全てに「つまんねー」「くだらねー」「面白くねー」って付けると嫌な世界になるよね。


 何にでも「いいね」って付けるとこの世は天国になるんだよ。

 簡単でしょ?

 でもね、疲れたり嫌なことがあったりして
見聞きする物事に「いいね」とか言う気分になれない位イライラしたりムカムカしたりしてたら、無理していい気持ちになるようにしちゃうと、余計にイライラしちゃったり疲れちゃうんだよ。そういう時は、何もせずに何も考えない事が大事なんだよ。
 気持ちが悪い方に行ってたら、先ずはそれをゼロに戻す事が大事なんだよ。ゼロにしてから良い気持ちになっていけば良いんだよ。

 天国にいるような毎日にしよう!

幸福感を与えてくれるのは「物」じゃなくて「体験」



 世の中は「ボリュームゾーン不況」だそうです。

 株価は2万円に迫り金融市場は堅調さを維持している反面、小売業界ではヒット商品が出てもなかなか長続きせずに、短命でそのブームが去っていくそうで、そのサイクルは近年超短期だそうです。
 しかもそれが最も需要が豊富なマス市場で起こっているから大変だそうです。

確かに消費者視線で見ると、新しい商品がブームと共に次から次へと発表されては消えて、特にコンビニでは新商品だらけという状況も見られます。

 こうした状況は外食産業、家電製品、ファーストフード、コンビニ等、あらゆる産業で広がっています。

 理由としては、消費者の飽きが早くなり目が肥えてきたからだそうです。

 いくらヒット商品だからとて、同じものを売り続けるとあっという間に消費者から見捨てられる危険が隣り合わせにあるということです。

 人にとって何かを買うという事は一種のストレス解消を含んでいると思います。
 人は皆、何かを買う口実を探している向きがあります。自分の暮らしを少しでも良くしようという心理と、自分の暮らしに何かしらの変化を与えたいという心理が合わさって、それが購買意欲になっているのだと思います。

 そして、消費者は知っているのです。沸き立つ購買意欲によって買い求めたものの、自分に与える満足感の寿命の短さを。
 ですから消費者は少しでも自分の暮らしに大きな満足感を与えるものを探すのです。逆にその時は心をひきつけられても、すぐに飽きてしまいそうなものを体験から嗅ぎ分けてしまうのです。

 それこそが消費者の飽きが早くなり、目が肥えてきた所以ではないでしょうか?

 売る側にしても常に変化がある所とそうではない所があります。行くたびに商品に変化のあるお店はやはり足が向きます。新しい物との出会いや直感から起こるドキドキワクワクを期待します。
 しかし、何度行っても商品陳列に変化のないお店は徐々に行かなくなってしまいますね。

 それにしても、このようにお店を巡って欲しいものを探し、良さげな物を探し、それを眺めながら購入する口実を探すようなお買い物は、どれだけお金を使っても、物を増やしても得られる満足感や幸福感は一瞬で、切りが無い消耗戦です。

 最近よく見聞きするのは、物を得る事に寄る満足感よりも、体験による満足感の方が高くそして持続するという事です。

 最近は体験にお金を掛ける人が増えています。
 アウトドア、ボランティア活動、環境保護活動、スポーツ等もそうですし、今まで世間から見向きもされなかったけど、面白そうな希少な体験も市場で見られるようになりました。
 ちなみにアップル社の製品は、製品を通してスペックではない「ユーザー体験」を売っていますね。
 
「今日はみんな何をしているんだろう?」
「どんな情報を提供してくれるだろう?」
というワクワクした気持ちでページを開くという体験を提供してくれるのはFacebookです。

 体験と一言で言っても様々な体験の種類が在りますが、世の中でヒットする物事には良質な「体験」というキーワードが必ず含まれていると思います。

 ただし、この体験でさえも何も変化がないと次第に飽きられて斜陽になっていくでしょう。現にFacebookは登録者数が増える一方で、既存のアクティブユーザーが次第にアクティブでなくなりつつある現象が起きているようです。

 体験も変化がなければブームとしてすぐに過ぎ去っていくでしょう。

 体験の中には「承認欲求」や「創造性」や「達成感」等色んな含みがありますが、その中でも最も持続性があり、満足感に繋がるのは「貢献感」です。

 「嫌われる勇気」という本の中で、アドラー心理学では人の幸せは「貢献感」であると言っています。

 幸福を得るためには「共同体感覚」が必要で、そのために「貢献感」が必要になるわけです。感謝や報酬を得る必要はありません。貢献したんだという自己満足が大事です。

 詳しくはネットで"アドラー 貢献感"と検索するか「嫌われる勇気」を読んでください。

 体験の中にこの「貢献感」という要素を含むことにより、ただの体験活動よりも体験を通じて幸福になれ、高い満足感が得られるでしょう。
 今後は社会活動を含む体験やボランティア活動がどんどん増えていくと思います。

 最近「エコツーリズム」という言葉をよく聞くようになりました。「貢献感を含む体験活動」の可能性についても今後大きな広がりが期待できそうです。



 高度経済成長期の名残で、未だに大きな家、高級車、高級家具、高級な腕時計、贅沢な暮らしがステータスシンボルだと思い込んでる人が沢山居ます。

 ですが、それらの物は別に幸福を与えてくれるわけでもなく、満足感でさえほんの一瞬です。承認欲求や優越感を得ようとすれば自分が惨めな思いをするだけです。

 大事なのは物にお金を使うのではなくて、体験や経験にお金を使うことです。
 物を買うにしても、その物がどんな体験を与えてくれるかによって、対価を支払うべきで、よく考えることが大事だと、自戒を含めて思います。

 世の中にはどんどん体験の機会が増えているので、ドキドキワクワク感を持って色んな事にチャレンジしたいですね。