真実と善と美

 日常の中で、見たり聞いたりした事について書いています。

命の礎

 最近ランニングを始めました。といっても中学3年間と高校1年生の頃まで陸上部だった事もあって、たまーーーに走る事が断続的にあったので、久しぶりにまた走り始めたといった方がいいかもしれません。

 

 前に履いていたランニングシューズがだいぶ前にダメになってそのまま廃棄してしまったので、今回シューズを買い直しました。

 Nikeのズームライバルフライ

www.nike.com

を買ったのですが、最近のシューズは走りやすくてよくできてますね〜。もう少し上手に走る事ができたらもっと良さが分かるだろうなと思いました。

 コースは近所を2キロから5キロ位を、1キロ6分ペースでゆっくり走っています。私にとってはこのペースでも十分に早いんですけどね。

 

 先に書いた通り、中学生の頃からよく走っていたところなので、走ってると景色が懐かしい感じがします。実家に住んでいる時、通勤通学などでよく見慣れた景色です。小学生の頃、犬の散歩をしながら、この空のずっと先にはどんな世界があるんだろうなって想っていたものです。

 

 大人になってもここに居て同じ景色を見てるのだなと思いました。

 

 子どもの頃から自分が育った場所で自然から受け取るものが多いほど、その場所の何かに引き寄せられ続けるのかな?と思いました。何となくそう思うんですよね。

 

 自分の中にある何かと呼応するのかな?

 

 自分が生まれ育った場所とは違った場所に根を下ろしたとしても、そこには自分が生まれ育った場所と何か同じものがそこにはあるんじゃないでしょうか?

 

川のせせらぎ

水を湛えた田圃の輝き

霞立つ山

全てを覆い隠す白銀の世界

 

これらは自分の命の礎となっていて、自分を自分たらしめる、なくてはならないものだと思うのです。

たとえ世界のどこで暮らしていても自分の中にある命の礎は確かにあると思います。

 

 そしてその命の礎を呼応する何かに引き寄せられるように、その場所に居付く様になるのではないでしょうか?

 

 自分が生まれ育った場所の景色、思い浮かびますか?その景色をどう見てどう感じるかは、今現在の自分の主観です。過去の記憶やその印象は今現在の自分によって変化するものです。

 昔の自分を今の自分がどう感じるかも今の主観です。

 

 全ての物事は移ろい変わっていて、一瞬一瞬で全ては別物になっていくのですが、人もまた然りで10秒前の自分はもう今の自分とは違ってて、変化し続けているんですよね。その一瞬一瞬の違う自分を強引に束ねて「自我」を形成しているわけです。だから「自分」なんてものは実は不確かで不安定なんですよね。

 

 そんな諸行無常の世界ですけど、子どもの頃に自然から受け取ったもの、命の礎となるもの、それは確固不抜として存在していると思うのです。

 それを因縁というんじゃないかな?と思うわけです。

 心や精神、感情は変化し続けている物質から生み出されているのですから、当然心や精神、感情も変化し続けているのです。

 しかし、因縁というものは変化しない要素が多分にあるのです。

 

無始の始から延々と繰り返される命の輪廻と断ち切れる事のない因縁。

今までに因縁が影響を及ぼした事って・・・?そしてこれからこの因縁がどんなふうに未来に影響を及ぼすのか・・・?

そんな事を考えながら年の瀬の寒空の下を走る日々であります。