ケンタロウBlog

 ケンタロウが日常の中で、見たり聞いたりした事について書いています。

初めて猫を飼う

この1ヶ月くらい、猫を飼うか悩んでいた。

 大体ヒカキンさんが猫を飼い始めちゃうから息子が猫飼いたい言い出したんですよ!

 


 でも、子どもにとっては良いことかな?って考えてた。自分より小さくて弱い者を慈しみ守る事、我慢と寛容と奉仕する事を体感して欲しいと思っていた。

 その分ゲームをやる時間やyoutubeを観ている時間が少なくなるといいなって期待もあった。

 


 しかし、生き物を飼うって覚悟が要る。

 ワクチンや健康診断など、餌や猫砂などお金もかかる。世話をしなければならない。

 


 窓や戸を開けっぱなしにできないし、大事な物はきちんと片付けなければならない。


 長く家を空けられない。


 いろんなリスクを考えた。


 でも、子ども達へのプラスの影響を期待して色々なリスクを背負う事を覚悟した。

 

この辺は実家で猫を飼っている妻が詳しいので助かります。


さて、猫を飼うに当たり、保護された猫を貰い受けることにした。

 市立の施設もあるし、県立の保護施設もあるし、ネットの譲渡掲示板もあるし、見比べて決めたのは新潟県動物愛護センター。

 


 事前に譲渡条件を読んで、電話で問い合わせをし、譲渡に掛かる様々な条件や手続きを確認した。


 すぐにホームセンターで猫グッズを揃えてきました。

 

猫トイレ

 砂がこぼれないように、上から出入りするタイプを選んだ。

 

猫砂

トイレに流せるタイプもあって、便利そうだなって思ったけど、うちの地域はゴミ出しがとても寛容なので、レジ脇に積んであるオーソドックスなものにした。

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 餌

 カリカリのヤツを選んだけど、後にウェットタイプを買い足した。

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餌の食器

 ちょうどいい大きさと深さと、猫がひっくり返さない程度の重さの食器を100均で買ってきた。

爪研ぎ

 プラスティックのケースにダンボールの爪研ぎをはめ込むタイプを買った。

 

オモチャ

 とりあえず…

 

 

 買い物の後、早速センターへ行き、猫を見させてもらいました。

 

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 欲しい猫が決まったら、猫の生い立ちやこれまでの病歴、今後気をつけなければならない点など説明を受け、これからの飼育環境の確認と必要書類を書いて即日貰い受けてきました。

 

 保護猫は無料で譲渡を受けることができる代わりに、捨て猫だったり野良猫の子だったりで、風邪をひいていたり、ダニや病気にかかっていたりする事がほとんどで、これから病院に行って診察を受けたり、経過観察をしなければならない事があったりします。

 その辺は覚悟しなければなりません。

 

 

 家に連れて帰ってきて、ゲージを開ける前に、先ずは家の中の片付け、そして、買ってきたトイレと餌場のセット。

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 トイレと餌場の位置関係はネットで見ると色々な意見があるけど、トイレと餌場は割と近いところにした。

 廊下の隅っこの静かな場所にセットした。

 爪研ぎは一番活動するであろうリビングの隅に置いた。すぐに見つけて研ぎ研ぎしてました。

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 しばらく構わずに、自由に新居を散策していただきまして、徐々にちょっかい出したりして遊びました。すぐに抱っこもさせてくれるようになりました。

 

センターで使ってたトイレ砂を新しいトイレの中に撒いておいたんだけど、すぐにウンチとおしっこ出来ました。

 

猫も家族も不慣れだけど、とりあえず息子は全然ゲームに手を出していません。そして少しだけ猫に対する責任感が芽生えてきたかも…

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もう23:00、そろそろ寝たいんだけど、すぐに抱っこをせがんできて、この状態…

あまあまちゃんです。

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 これからが楽しみです。

葉月

2018.8.9

 8月に入って早々に、息子と娘が発熱して、医者に診てもらったら夏風邪だろうとの事で様子を見てたんだけど、娘の方が全然良くならず、おまけに発疹まで出てきて、川崎病の疑いありとの事で入院しました。

 内科と小児科の混合病棟に入ったんだけど、嫌だなって思うのが、娘は3歳なんだけど、行く先々でお年寄りに絡まれるんだよね。

 「あらあらあら、あんなに小さいのに点滴付けてあらららら」とか大きな声で言ったり、しつこく話しかけたりね。エレベーター待ってる間、あまりにもしつこく話しかけられるので娘が泣いちゃったりして困りましたよ。

 悪気はないんだろうけど、病院だから心身共に不安定なわけですよ。これ大人子ども関係なく、無闇に絡まないで欲しいね。

 


 ところで、川崎病って血管の炎症で、原因が良くわかってないらしいんだけど、これは俺の憶測なんだけど、原因は小麦粉なんじゃないかと思うんだよね。うちの娘は麺類が好きで、特にうどんと素麺は大好きなんだよ。

 今回は最初夏風邪らしくお腹の具合が悪くなり、つまり腸の調子が悪くなって、次第に熱が出てきて、発疹が出た。発疹は如何にもアレルギーっぽい発疹だった。

 ここ数年で川崎病の罹患者数は増えているらしい。

 子どもの食習慣の変化が罹患者数の増加の原因なんじゃないか?

 お手軽、美味しいコンビニ食の食べすぎや、グルテンカゼイン、砂糖の取り過ぎが川崎病を引き起こしてるんじゃないかって思うんだ。

 


 

 人間はそもそも無限の創造的なエネルギーを持っていて、そのエネルギーの発露をいつも恐れが邪魔をしているので、心の中の恐れを、一片の雪を掌の中で溶かすように受け止めてやれば、たちまちエネルギーが湧いて来る。

 だから心の不安を取り除いて差し上げれば、恐れは和らぎ、きっと心も体も元気になる。

人は皆其々に立場が違うし、違う人生を行きているけれど、原因は違えど恐れなどの感情は皆同じだから、きっと誰もが誰をも救うことができるはずと信じている。

 

 

 

 


 かつて防衛研究所所長だった師匠が語っていた。

 「なぜ原爆が2発もドイツではなく、日本に落とされたか?その理由はただ一つ、日本人がアジア人であるからだ!アメリカは人種差別をしたのだ、日本人であるから核爆弾を二つも大勢の民間人が住む街に落としたんだ!」

 きっと研究を重ねる上で、胸が締め付けられる様な語るに語れない事実を沢山知ったに違いないと思った。

 

 

 

 

 

 

 


2018.8.15

 終戦記念日敗戦記念日でもある。戦時中も戦後も日本は失敗を認めたがらない。

 戦争に負けて73年後、どうなったかって言うと。

 日本は既得権を守る人が広告を使って日本を牛耳ってる。

 日本人はテレビや新聞の言いなりで、有名人の言う事を聞き、人気者に迎合する。

 コンビニでお金を下ろし、その金で小麦粉と砂糖で出来た体に悪いものを買い、レジでさっき下ろしたお金と個人情報を差し出し、コンビニの店員はその金をまたATMに入れる。お手軽で安くて美味しそうな物をばかり食べて、体の不調を訴えた人々はドラッグストアで何の根拠もない薬を買い、アレルゲンだらけの洗剤を買う。そしてまた体を壊して消費を繰り返し、大病に至って病院で多くの医療を消費する。

 需給を担う大企業は広告を出し、メデイアを席巻する。

 既得権を守る人達の意にそぐわない情報は排除され抹殺される。

 国民は広告という情報伝達手段によって既得権者の意に沿う意見を持ち、行動をして、消費することによって企業体を維持する事に貢献し、企業体は権力と癒着する。

 


 国は志しを亡くし、企業は良心を亡くし、国民は馬鹿になった。

 


戦争で命を亡くした多くの御霊にとって、現代を生きる我々は描いた希望の姿なのか?がっかりな姿なのか?

 


2018.8.19

 「片付ける」ってモチベーションは、普段から片付けるている内に生じるストレスから発揮されるもので、使っては使いっぱなし、掃除や片付けは人任せ、と断じている極めて生産性の高い人かズボラな人は片付けに向かない。

 


 だから昭和の時代は「仕事に専念するために嫁をもらう」なんて事を言うけど、仕事から帰宅したら休養する事に専念して、家事や身の回りの事を奥さんにやってもらう事で仕事の生産性を高めていたんだろうなぁ。

 


 今は家事や身の回りの雑事は合理的にこなす事が出来るようになって来たので、夫婦共働きや独身生活が可能になって来たんだよね。

 だから夫婦共働きや独身生活者は古いスタイルの生活を考え直し、いかにして家事にかける労力と時間を少なくするかをまじめに考えねば、生活は苦しくなる一方だと思う。

 


2018.8.24

 あるテレビ番組で、チアリーダーをテーマにした某ドラマの、チアメンバーの女の子達をクローズアップしてて、「将来有望なメンバーです」って紹介されてたんだけど、どの子もデビューしたてなのに大手のcmに出てたり、連続テレビ小説の出演が決まってたりして、それぞれのプロダクションの推しメンが顔を連ねてる感じだった。

 テレビを観ていると、芸能界はどこまで競争原理が働いているんだろう?と常々思う。

 「可愛い」「カッコいい」「面白い」の基準がメディアによって知らず知らずのうちに刷り込まれているように思える。

 


2018.8.26

 最近、出川哲朗さんがCMなどでよく見る。特に若い女性がターゲットのCMに出でいるような気がする。

 何故か?

 ネットが手の内に入って、SNSが普及して、人は皆今よりも既に起きた事を反芻したり、まだ先の事を憂いたり、ここではないどこかで起きている事を考えるようになった。

 従って、今現在に対峙している人への対応がいい加減で簡略化されて来ているように思える。

 坂口安吾さんが、ある友人宅に訪ねて行った時、その友人がかかって来た電話に、中座して出たそうだ。安吾さんは「わざわざこうして訪ねて来た来客を差し置いて電話で用事を足そうとして来た人を優先させるのかい?」みたいな事を言ったそうだ。

 


 ネットは空間を超えたコミュニケーションを可能にした代わりに、今現在此処を希薄にした。小学生は友達と集まって、それぞれが他のプレイヤーとネット対戦している。

 中高生は友達とご飯を食べに言って、それぞれがスマホで他の人とコミュニケーションを取っている。大人は目の前の人とコミュニケーションをとりつつ、さっきスマホをいじってた時の事を考えている。

 


 そんな風景が当たり前になった。

 


 そんな中、出川哲朗さんの過大なリアクションはその場を変える。人々の心をリアルに引き込む。

 自分が話していて、大きなリアクションを取られると嬉しいと思うんだ。試しに明日からリアクションを盛ってみてはどうだろう?喜んでくれると思うな。

 昭和の初めころだったか?「すごい」という言葉が流行った事や、「超」が流行った事が思い出される。つまらない世の中に刺激のあるなにかを求める雰囲気の中でそうした言葉は生まれる。

 


 出川哲朗さんのリアクションには悪意がなく良心的なところがまた好感が持てるんじゃないだろうか?

 最近、出川さんマジいいわ!マジで、リアルに!

 


2018.8.26

 イオンのフードコートで家族で昼ごはんを食べた。12時半頃で席は空き待ち状態だった。私は普段から瞑想をしているから、車の駐車スペースやフードコートの席は割と待たずにすぐに空きをゲットできるんだけど、食事をしている最中に席を待つ人が沢山立ってウロウロしてるんだよ。そこで、見知らぬ人と電話番号の交換に抵抗がなければ、食事が終わったら、席をお譲りするのでメッセージを入れます。っていう風にしたら皆さん立ってウロウロせずに、ウィンドウショッピングや用事を出すことができるんじゃないか?と思うんだよね。 新しい詐欺が横行しそうだけど…

 


 

 

文月

2018.7.1

 自分が取り組んでいることを後世に純粋に伝えていく為に、あえて世間からの解釈を逃れる。という場合もある。

 


2018.7.3

 いろんな人のサッカーの話を聞いてて思ったんだけど、サッカーに限らず他のスポーツや選挙もそうだけど、勝ってる時は我が事の様に喜び応援して褒め称えるのに、負けが決まると手のひらを返した様に、他人事になって一歩も二歩も引いた所から物を言う様にスタンスが変わる人多いよね。

 


 サッカーWcupの日本の試合みて一喜一憂している俺に息子が「勝っても負けても俺たちに関係ないじゃん、なんでそんなに喜んだり悔しがるの?」だって。笑っちゃったよ。

 


 2018.7.7

 生産性よりも問題解決よりも、ただ自分が誰かと関わりたい、話したい、それだけで余計に問題を膨らませて、妄想を膨らませて、そんな人の話にまじめに付き合ってると自分が馬鹿らしくなってきて、時間を無駄にした事を悔やむことになる。

 


 大雨のニュースを見ていると、床、壁、天井のある所で、快適な室温と湿度で、柔らかいマットレスの上でフワフワの毛布を腹にかけて眠れる事を幸せに感じる。これはHarleyでツーリングソロキャンプから帰ってきた時も同じく思う。

 


 2018.7.13

  中学校の部活動は意味がないものが多いと思うんですよね。もちろん本格的に頑張ってるところもあるだろうし、子供達にとって有意義な時間であるかもしれない。

 でもダラダラととりあえずやってるって感じの部活やイヤイヤやってる部活も多いと思うんですよ。

 無理して部活やる必要もないんじゃないかなって思います。

 部活を廃止にして、素人同然の教師からの指導を受けるより、正しく安全に指導ができるコーチや監督の元で指導を受けた方がいい。

 


 こんなことを言うと、部活がなくなった生徒たちは行き場がなくなり、無駄な時間を過ごすことになるだとか、収入が少ない家庭は放課後に行かせるところがない。とか言う人がいるけど、そうとは思えません。

 何故ならば、ここ最近、夏休みを前にして、小学生の息子は夏休み期間中に行われるキャンプや講習、ワークショップなど多彩な活動の案内が沢山来ます。

 


 もし中学校の部活を廃止にしたら、そこには新しい放課後市場が生まれるのではないかと思います。

 部活を廃止にすれば、中学校教師の多忙化解消になるし、子供達は自分のやりたいことを選択してやることができる。

 スポーツは勿論、プログラミングの勉強や、英会話、文化的活動やボランティア活動、自分のキャリアを考えた活動が出来る。

 学校の部活に閉じ込められたら、狭い選択肢の中から一番マシな選択をするしかない。

 貴重な成長の時間をより有意義に過ごしてもらいたい。

 


2018.7.14

 国は金がなくなって、国債を発行しても売れず、窮地に追い込まれている。税収だけでは間に合わなくなった国は、あらゆる手を使って個人の資産を切り崩しにかかっている。

 個人として自分の僅かな資産がどう消えて行くかをを見つめると、砂糖と小麦、通信費、インフラ費、保険…

 どこで買ってるかと言うと、コンビニ、スーパー、電力会社、ガス会社、携帯キャリア…

個人は消費や浪費は企業を通して国に収奪されているような気がする。

 


 個人の消費パターンは個人ではなく、消費社会のシステムが決めているように思える。

 周りを見れば持っているもの、使っているもの、見ているもの、行くところ一辺倒になっているように思える。

 


2018.7.19

 この間も書いたけど、中学校の部活動って夏休みもダラダラとやってんだよね。あれ意味ないよ。勿論バリバリやってるところもあるけどさ。大概の部活動なんてやる事ないから行ってる、またはやる事ないから部活やらせてるって感じでしょ。

 そんな意義のない部活をやらせるなら、いっそのこと部活辞めればいいんだよ。

 行くとこないとかやる事ないとか言う保護者がいるけど、そんなんじゃ困る。

 自分が何をしたいのか?自分は何が楽しいのか?自由な時間を与えられたら何をするか?自分と向き合って考えなきゃいけない。

 やる事ないから部活行くって言語道断。そんな調子では、自分の時間の使い方を人任せにし、誰かに指示されないと何していいかわからなくなり、高校生になって放課後になるとズルズルと無駄な時間を浪費してしまう事になる。

 「あぁあの時帰る家があって、健康で時間や機会がたくさんあったにもかかわらず、なんて無駄に時間を過ごしたんだろう?」って後悔の念を抱くのは、なるべく早いほうがいい。

 


 自分の人生に何もなく、誰かの人生の脇役にならないようにしなければならない。そのためには無駄な部活を辞めて子供らに時間を与えてやるべきと思うんだ。

 


2018.7.30

 選挙ってのは難しい。票を集めるのはTwitterのフォロワーを集めるよりも難しいかもしれない。

 先ずは運動員を増やさなければならない。色々とメゾットを教えてもらったけど、一番早いのは既にある後援会の力を丸ごとお借りするのが一番早い。そのかわり、候補者もその傘下に入り、子分になって親父の言うこと聞かなきゃいけないけどね。

 

徒然なるままに 「水無月」

2018.6.5

 音楽って楽しいものの筈なのに、ピアノ教室に入ると、検定を受けさせられたり、発表会にエントリーさせられたりして、その度に目標設定されて一生懸命に練習しなければならなくなる。

 そうすると楽しいはずの音楽が一気に面白くもないただの苦痛な練習時間になってしまうんだよな。スキーは楽しく滑って上手くなっていくのにな。もっと「弾けた」っていう感動と楽しさを噛み締めて出来たらいいのに…息子が煩悶しながらピアノの練習をする姿を見て思う。

 


2018.6.8

 嫉妬や妬みを回避する為に、ホールインワンを出したら一緒に居る人達にご祝儀を配るという話を題材にして、息子にお風呂の道徳授業をしてやった。

 2018.6.11

 公園の隣の住民が、公園の草が伸びて蚊が増えて困るので、草刈りをして欲しいと区長の所へ申し立てがあり、そこから育成会会長の俺の所へ、草刈りのお願いが来た。公園は子どもが使う所だからと言う理由と、公園は年に3回程育成会が会員の皆さんで草刈りを行なっているからと言う理由だ。

 先ず、公園は育成会でも区の持ち物でもない。管理は育成会の仕事ではない。所管は市の都市計画課なんだし、お金を貰って公園を管理している人が居るわけだから、都市計画課に相談するのが筋だと思うのだが、面倒なのかボランティアと言う言葉を使ってお願いされたんだけど、ボランティアとは自発的、能動的に行われるものであって、他者から無理矢理お願いされてやるものではない。

 その草刈りの為に俺は時間とガソリンと労力を差し出さなければならない。

 何でもそうだけど、いとも簡単に人に只働きをお願いをするのはやめて欲しいもんだ。

 そう言う手法の積み重ねが、自治活動の膠着や人手不足や地域の衰退を招くって事を理解しなくてはならない。何度も言うが、そこに価値があると思うからこそ、見返りを期待せずに力を出せるんだ。

 


2018.6.13

 飲み会は価値観の違う人々が迎合するための行事であり、酒は価値観の違う人同士を無理矢理迎合させてくっつける接着剤的な役割を果たす。

 


 だこら「地域の」と付くコミュニティでは酒の場は絶対必要だし、酒の場があるからこそ、地域で繋がるコミュニティはうまく回るんじゃないだろうか?

「 同じ地域に住んでいるから」と言う理由だけで集まった人々が同じ価値観を持って協力し合うなんて、普通なかなかうまくいかないでしょう。

 


2018.6.16

 子どもの頃から薄々気づいていて、今は確信できるんだけど、自分は数学や算数が好きで、物事をシンプルにしてゆく作業が好きだし、向いている。何かを創り出したり、何かに肉付けしたりする事はあまり向いていないし、面白くない。

 


 だから建築の「間」が好きだし、一切無駄の無いものも好き。

 真理や原理というものを突き詰めてゆく作業も大好きだし、思考は常にそこに焦点が合っている。

  兵法も天地の大道宇宙の理を体現するものだから、やっていて楽しい。しかし、テクニカルな話ばかりになると飽きてくるけど。

 


 物理的にも心理的にも散らかったり物が増えるとイライラする。

 


 更にイライラしたり疲れたりすると余計なものを買ったり、余計な事を始めたりしてしまうので、そういう状態を常に内観しながら気をつけなければならない。

 


2018.6.17

 芳香剤や洗剤、石鹸やシャンプーなどがアレルギーや体調に少なからず影響を与えているそうだ。

 実家に住んでいた時と、一人暮らしをしていた時、結婚してから自分の身体に起こった変化を思い出そうとしている。ところで俺はいつから髪が薄くなってきたんだっけ?

 子育てが始まってからだと思うんだけど、やっぱり子育てによるストレスが原因なんだろうか?

 


2018.6.21

 如何なる時も周囲の人に安心感を与えることが大事なんだな。と、Instagramのプレゼン観てて思ったよ。

 


 ところで昨夜の剣術の稽古で尾張菅流槍術をやったんだけど、だんだんと面白くなった。

 


2018.6.23

 アルインコのエアロバイクが不要になり、石井スポーツが移転の為にSALEを行い、リビングにトランポリンが欲しくなり、車に不要になったエアロバイクと保温鍋と子どものおもちゃと刀掛けを積み込んでリサイクルショップへ行くも、フィットネスマシンは買い取らないとのこと、その後他のリサイクルショップを2軒回るも買い取ってもらえず、3軒目に問い合わせした所、中古市場ではフィットネス機器は取り扱わない事になったとの事。一軒目で教えて欲しかった。

 石井スポーツに行ってお手頃価格になっているものを物色に行ったものの、高いものは高く、肩透かしを食らって店を後にした。

 ゼビオスポーツへトランポリンを買いに行くも、種類が一つしかなく、しかもAmazonに並ぶトランポリンより遥かに値段が高い。

 結局その日はエアロバイクを車に積んで新潟市内をウロウロして終わってしまった。

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2018.6.24

 息子と兄親子と寺泊港へ豆アジを釣りに行った。全然釣れなかったけど一つわかったことは、釣りは「真空妙有」であるということ。

 真なる空は妙なる有である。

 結局他人が釣った魚を食べて帰りました。

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 2018.6.27

 近年に大きな地震が何度もきて、犠牲になった方々は多くの教訓を遺していってくれたのに、昨今の災害の避難訓練はやはり球体堅持のもので、実態に即していないところが多いと思う。東日本大地震であれだけの教訓を得たのにも関わらずだ。

 


2018.6.28

 

 ピアノ教室に通う娘を迎えに行って、俺の姿が見えて喜んで慌てて支度をする娘を見て、あぁこの一瞬はもう戻ってこないし、こんな時期は永遠に続かないと思うと、この一瞬一瞬は宝だなって思った。

 


2018.6.30

 最近istickでcbdリキッドを吸ってるんだけど、0.5ΩTiのコイルで20wから30wくらいで200度以上加熱しないように設定して吸ってるんだが、なかなか喉がイガイガする。

 W数落として、温度低めで吸えば大丈夫なんだけど、それだとcbdが気化する温度に達しないんだよね。どうすればいいんだろう?

https://www.instagram.com/p/BkpsLWEhvVL/

#istickpico21700 #premiumblack #cbd0.5ΩTiのコイル使ってるんだけど、ワッテージと温度設定が難しい。温度低いと喉はイガイガしないけど、cbdが気化する温度に届かないし…気化する温度まで加熱すると喉がイガイガするし…

 

卯月 皐月

徒然なるままに

2018.4.21

 新潟南イオンへ「クレヨンしんちゃん」の映画を観に行ってきた。

 正確には息子の映画鑑賞に付き合ってきた。

 


 いつも混雑していて車の停め場所もないくらいだけど、天気の良い日だったのでとても空いていた。

 みんな天気がいいからレジャーに出掛けているんだろう。こんなに天気がいいのに外で遊びに行かずに消費行動を取っていることに罪悪感というかもったいない感じがして、なんだかムズムズする。

 

2018.5.10


 2011年3月11日は東日本大震災によって日本中が精神的なダメージを負った。

 日本中で災害の恐ろしさや、生活が脅かされるのではないか?という不安感が蔓延した。

 計画停電や物不足も、被災地のみならず国民全体の生活に緊張感を与えた。

 そこから生まれたネガティブな感情は大きかった。

 防災意識の高まりや、ライフラインの大切さ、慌てて唱え始めた「絆」。心に不安を抱えている人ほど「絆」とか「繋がり」とか「連携」なんて事を口走っている様に見えた。

 


 震災の後しばらくは、不安や恐れから起因する動きが多かった。

 


 震災があった頃、魂が形作られる2歳前後の子ども達は、この社会的な負の感情の渦をもろに受けている。今この子らは10歳前後。

 この子らを俯瞰的に見ていると、何か他の年の子らと違うものを感じるのは私だけだろうか?

 

 

 

2018.5.13

 人生は長いっていうけど、それは、確固たる目標を持って、その為に今自分が何をするべきか分かっていて、真っ直ぐに向き合っているからなんだろうな。

 


 人生は短いっていうけど、それは、あらゆる問題から逃げて、手短な楽な方へと流れて、何となく毎日を過ごしているからなんだろうな。

 


40歳は不惑の年っていうけど、あれ本当だわ。

 


 今まで努力する事や、覚悟する事から逃げていた。逃げる事が当たり前になっていて、全ての問題は他者にあると知らず知らずのうちに心の内で決め付けていた。

 向き合わなければならない、問題に。立ち向かわなければならない、辛くとも。

 その先に本当の光明があると分かっていればこそ。

 逃げるな!一歩前へ!

2018.5.15

 自分の中の「恐れ」を受け入れる、或いは手放す事が人類にとっての大きなテーマだと思う。それはその道によって表現が異なる。自分の中の恐れが消化出来ればこそ、心にも身体にも「自在」を得ることが出来るのだと思う。

 


 所謂引き寄せの法則とかは先ず持って恐れを手放す必要があって、恐れから生ずるイメージは現実化しない。

 


2018.5.16

 新潟市の小学生殺害事件、娘を持つ親としては他人事とは思えない。

 小学校の登下校の対策についても限界がある。今までの対策以上のものを求めれば、教員の本来の仕事を圧迫して、学校の本分が損なわれる恐れがある。

 とはいえ、保護者や地域住民の協力も限界がすぐに訪れる。

 保護者は殆どが仕事をしているし、パトロールをしている地域住民を見れば殆どが高齢者である。無理強いはできない。

 


 ある程度まで見守る事はできても、その先は自分で自分を守らねばならないだろう。

 


 アップルウオッチをもう少し小さくしたような物で、付けていても生活の邪魔にならないような大きさで、セルラー付きで、GPSや心拍数計がついていて、突然の心拍数の上昇にはアップルウォッチの様にアラームが鳴って、しかも親のスマホにも通知が来て、時計を外した時にもGPSデータと共に通知が来て、「助けてっ!」って言うと110番に繋がる。そんな物を娘に着けさせたな。

 やっぱりApple Watchになるのか?

 


2018.5.20

 たまに薪ストーブの薪作りで薪割り機を貸してもらっているじいちゃんがいて、なかなかその薪割り機、もう40年以上昔のイタリアの古い薪割り機で、エンジンはROBINでつまり富士重工なんだけど、なかなか運転にコツがあって、素直にエンジンは動いてくれなくて、じいちゃんの助言を得ながらなんとかコツを会得して、この薪割り機を使いこなせるのはじいちゃんの俺だけになった。

 じいちゃんが「俺が死んだらこの薪割り機、あんたにくれてやる」って言ってて、ここしばらくは薪割り機の力を借りずに斧一本で頑張ってたもんだから、じいちゃんの様子を伺う事はなかったのだけど、先月一人暮らしの自宅で一人でお亡くなりになってたって先週聞いた。

 親戚やご近所さんの案内で行ってみると、もう薪割り機は誰かの手に渡ったそうでもう無かった。 

 でもまぁ、捨てられずに誰かの役に立っていればいいんだけど、ちゃんと動かされているんだろうか?

 まだ薪が沢山残っていて、このまま放置されるのも火災の心配などあるので処分したいとの事だったので引き受けることにした。

 あと、小屋の中には薪作りに使っていた道具などが沢山残っていて、これらも「形見分け」という事で使えるものは引き取って欲しいとのことだったので、使えるものがあったらいただいて行こうと思う。

 


 薪は雑木を集めたもので、小さな枝まで積んであって、枝はあまり必要なかったのだけど、綺麗に片付けるのも一つの供養かなって思って頑張ることにする。

 他の薪は建物を壊して出てきた建材を切ったもので、あまり薪ストーブユーザーは欲しがらないみたいだけど、これも片付けるって意味で引き取ろうと思う。

 

 俺が死んだら何が残るんだろう?俺の持ち物、誰が何を引き取ってくれるんだろう?

 


合掌

 


2018.5.26

 「死ね」とか「ぶっ殺す」などよく口にする子どもがいて、うちの息子に「あんな言葉使うな」って言った。

 「死ね」とかいう言葉は、相手に対して「お前は価値が無い」「お前はこの世に存在している意味が無い」「お前はいなくていい」と言っているのと同じ事だ。さ

 簡単にそんな言葉を口にすると、自分にとって少しだけ邪魔なだけだったり、自分にとってちょっとだけ嫌な事があるとすぐに「死ね」とか「殺す」とか言葉を使う癖がつく。

 人を無価値と断ずるのは、刃物でいとも簡単に他人を刺し殺したり、銃で撃ち殺す事と同じだ。

 逆に人を無価値と断じなければ人を殺せない。

 人を殺す事に対する気持ちのハードルが低くなる事になる。

 人は自分の身の回りの全てと繋がっていて、自分が在るのは身の回りの人や物事が在るからこそで、他者を殺すという事は、自分を傷つける事と同じ。人に与えたダメージは様々な形で自分に返ってくる。

 

 そして自分の周りには何もなくなってしまうだろう。

 


2018.5.28

 自分の人生を盛り上げるには、自分の周りの人の人生を盛り上げる事も必要だと感じた1日でありました。

 

 

 

 

 

 

 


 

自治会の問題

 育成会の副会長をやっていて、4月から育成会の会長をやることになって、先日自治会の評議員として評議会に出席してきました。

 

 まぁ兎に角色んな問題が沢山あるんだなって思いましたけれど、突き詰めると、自治会の為に活動されている方々の高年齢化で事業が立ち行かなくなってきているというのが一番の問題です。

 

 以前、何かの記事で(養老孟司さんが書かれたものかな?)「地縁」「職縁」という言葉を発見しました。

 高齢者(自治体を運営している多数)は地元の縁を大事にしている。その下のバブル時代を迎える世代は職場の縁を大事にしている。若い世代は地元の縁より職場の縁より、自分にとって価値のあるところに力を注ぐ。

 高齢者は自治会主催の旅行など出かけたりするし、地域での活動に積極的だ。で、団塊の世代で職場の縁を大事にする世代は、職場の旅行とかゴルフとか仕事仲間との時間を大事にしてる。若い世代は地元のゴミ拾いや環境整備には参加しないけど、ecoアクションとかチャリティマラソンとか全然地元と関係ないし仕事とも接点無いけど価値があると思えば参加する。

 

 地元の人材資源をどうやって地域の活動に誘導していくか?

 

 アドラー先生によれば、人間の幸福感は「共同体意識」にあるといい、「共同体意識」は「貢献感」から産み出されると言っていました。

 地域活動を通して貢献感と充実感を感じてもらい、地域活動に積極的に関わってもらうためにはどういう仕掛けが必要か?

 

 地域活動に参加する事が、面白くもなく、面倒くさく、自分の時間を犠牲にしていると感じるようなものであってはならないと思います。 

 地域活動が、意味があるのか無いのかわからないけど、今までずっとやってきているからという理由で、面倒だけどやっている…というものでは決してあってはなりません。

 地域活動が、「役に立ってる」「貢献している」そういう実感がなくてはならないと思うと同時に、地域活動が地域住民の役に立って、地域住民の暮らしの助けになっているものでなければなりません。

 

 先ずは

地域住民の皆さんに必要な活動は何か?

地域住民の皆さんが喜ぶ事って何だろうか?

その中で自治会ができる事って何か?

 

そこから始めようか…

コンビニで時空を越える

 日本全国津々浦々にコンビニが浸透して、これまでに色んな所でコンビニを利用するようになりましたね。

 私は16歳の時に、普通自動二輪の免許を取ってCBR250RRに乗って色んなところへ出かけました。

 田舎の高校生は電車と自転車と原付バイクでの移動が殆どで、その中で自動二輪という高速道路も乗れちゃう移動手段を手に入れるという事で、周りの高校生よりも遥かに行動範囲が広かったかと思います。

 

 他の高校生は行くコンビニは大体決まってると思うんです。自宅近く、学校の側、通学路沿い、駅近く、友達の家の近く…とかね。

 しかし、16歳からバイクで県内に留まらず色んなところを出かけてると、「行ったことのあるコンビニ」ってのは他の高校生より遥かに多いと思います。

 

 大人になってその差異は少なくなってるかと思いますが、兎に角今まで沢山のコンビニを利用しました。

 

 すると、コンビニに行くと、或いはコンビニに行った事を思い出すと、たまに全くちがう場所のコンビニにいるように思えたり、頭に浮かんだりする事があるんです。

 

 例えば、週末にアルツ磐梯スキー場に行って、その帰りに磐越自動車道磐梯東IC近くのローソンに行ったんですが、家に帰ってその事を思い出そうとしたら、何故か新発田のイオン近くにあるセブンイレブンの景色が浮かび上がったんです。まるでその日、新発田のセブンに行ったかのような感じがするんです。

 

 二つのコンビニは周りの景色も違うし、駐車場の様子も違うし、ローソンとセブンは店舗デザインもロゴも違うし、似てないんだけどイメージがリンクするんです。

 

 なんでだろ?

 

 その時に買ったものが同じなのか?

(しかしコンビニで買うものは大体似通っているので被る事は沢山ある)

 考えていた事、気持ちが同じだったのか?

 コンビニを利用する時の自分の意識が共通しているのか?

 

 コンビニとコンビニの間を時間と場所を越えて意識がワープするんですよね。

 だからコンビニにいたり、コンビニにいた事を思い出したりすると、全く違う、しかも完全に忘れていた過去のコンビニの記憶が蘇ったりするんですよね。

 

 「コンビニに行った」という事がただ記憶に残って、それがどこのコンビニかってところは重要じゃなくてあやふやになるのか?

 

 もしかしたらコンビニの端末機でタイムスリップか瞬間移動できたりして!

 私にとってはコンビニは時空を超越した場所の様です。